第三章 食の塩

 Ⅱ.カビが創る和食文化

1.発酵と「醤(ひしお)」の発見

自然界から食べ物を狩猟・採取していた古代人は、季節的に収穫が限られる植物や大漁で残った魚や動物の肉をいかに腐敗しないで保存するかが、最大の悩みの種であった。腐敗との戦いのなかから、干して乾燥する、塩に漬けて保存するなど、食物保存の生活の知恵がうまれた。

塩漬けした魚肉は、時間が経つと液状になる。その腐敗した食物を食べても腹が痛くならない、それまで味わったことのない新鮮な味覚の体験が、発酵との偶然の出会いである。大昔から人は発酵を上手に使って、米や麦、豆から味噌醤油を、乳からヨーグルトやチーズ、果実から酒を造り、新しい味覚の世界を広げ、生活豊かにしてきた。発酵食品は、先人の知恵が詰まった食文化の遺産である。

腐敗と発酵について、19世紀にフランスのルイ・パスツールにより、酒、ワインなどの発酵は微生物の酵母菌の働きであることが発見された。発酵とは、微生物の持つ酵素の働きで、食物がもともと持っていた成分が分解・合成されて、新たな別の成分に変化することである。

発酵には、適度な温度と湿気によって増殖する酵母・カビ・細菌の三つの微生物が関与し、魚や大豆のタンパク質をうま味に、麦や米のデンプンを甘みに変える働きがある。 たくさんの乳酸菌などの微生物や酵母の働きによって、消化・吸収を助けアミノ酸やビタミンB群などの栄養価をうみだし、保存性、味わいなど、人に有用なものに変える。また、猛毒のフグの卵巣の糠漬けのように、発酵により食物に含まれる毒が無害になる場合もある。

紀元前11世紀、古代中国の周の時代に、うさぎ、鳥、魚を壺に入れて塩漬けし、それに麹を加えて発酵させた「醤(ジャン)」がつくられた。

魚肉に塩と麹を加えて漬けると、自然に発酵して塩辛ができる。古代中国では「鮨(き)」ともよばれ、日本では寿司を表すが、もともとは魚肉の塩辛である。

朝廷の料理には百種におよぶ醤が使われていたといわれ、孔子の論語に「その醤を得ざれば食らわず」と記されている。漢代には醤の材料が魚・肉から麦や粟、豆などの穀物に広がっていき、中国料理に欠かせない貴重な調味料となった。

魚醤の発祥地は、東南アジアのメコン河流域とされ、雨季に大量にとられた小魚やエビなどを樽に詰め、塩をまぶして発酵させたもので、アミノ酸発酵でうま味を引き出した調味料である。タイのナンプラー、ベトナムのニョクマム、インドネシアのサンバルなどの魚醤がある。アジアの稲作文化圏では、ご飯をたくさん食べる知恵として魚醤の調味料が重要な役割を果たしている。

わが国には、二千年前の弥生時代に稲作と一緒に魚醤が伝播されたといわれ、飛鳥時代には、米、麦、豆などの穀物を原料に、麹と塩で発酵した「穀醤」や、茄子、青菜、蕪、大根などの野菜を塩漬けした「草醤」が登場、これが醤油味噌、漬物などのルーツとなる発酵食品「醤(ひしお)」である。穀物を原料にした「穀醤」は、味噌に、その上澄み液が醤油となった。野菜を塩漬けした「草醤」が今日の漬物の原点である。

 

2.発酵を抑制する塩の力

塩には、雑菌による腐敗を防ぎ、有用な酵母と乳酸菌のゆるやかな活動を支えて、発酵の環境をつくる働きがある。塩漬けの食品が腐敗しないで長期間保存できるのは、塩の浸透圧によって細菌の細胞内の水分が脱水され、増殖に必要な水分が不足するために細菌が繁殖できなくなるからである。“ナメクジに塩”の原理である。

塩分12%以上の塩水に食物を浸けると、微生物の細胞の原形質が分離を起こして、雑菌の繁殖が抑えられ、食物の長期保存が可能になる。腐敗菌は、10%程度の塩分濃度で発育が阻止されるが、酵母の中には、20%、カビでは25%くらいの塩分濃度でも繁殖する、好塩性の微生物がいる。濃い塩分のなかでも繁殖できるのは、微生物の細胞内にカリウムを内包し、細胞外の塩分濃度と同じ浸透圧を保っているからである。

乳酸菌発酵は、魚のたんぱく質の自己分解を促し、熟成によって、生の魚では味わえない独特の香りと新たな魚のうま味をつくりだす。魚の内臓の塩辛をつかった干物にクサヤがある。ムロアジの開きを塩水に漬けて生干したあと、発酵した内臓に漬け、もう一度天日に干し、特異な臭いをもった干物に仕上げたもので、魚の内臓の酵素を利用した干物である。

塩の微生物の増殖を抑制し、発酵を調整する力は、腸内環境を整える働きにもいきている。塩分は体内に入ると、ナトリウムイオンと塩素イオンに分かれ、酸性の胃では塩素イオンが消化活動を行い、次の弱アルカリ性の腸では、ナトリウムイオンが腸を一定のアルカリ濃度に保つ働きをしている。ナトリウム(塩)が、アンモニアなどの腸内の腐敗菌の増殖を抑え、腸内細菌のバランスを整える働きをしている。

乳酸菌やビフフィス菌などの善玉の腸内細菌は、酵素やビタミンをつくりだし、リンパ球の70%が腸内にあり、体内に侵入してきた細菌や毒素を排除する働きがある。

最近では、漬物や味噌などの発酵食品には、腸を整える乳酸菌や食物繊維が多く含まれ、免疫細胞を活性化して免疫力を高めることが知られている。

腸内細菌は、一千種類以上あり、一千兆個ともいわれる無数の微生物がひとつの惑星のように腸内の生態系を形成している。腸内で草むらのように微生物が「叢」をなして生息していることから、‟お花畑”、腸内フローラと呼んでいる。

人は微生物と共生し、微生物の発酵を抑制する塩の力によって生態系のバランスが維持されているのである。

 

3.麹が創る和食の世界

日本は高温多湿の気候で、カビが繁殖しやすい環境にある。カビを生かしてさまざまな発酵食品を創る、日本は世界でも類を見ない発酵の食文化の国である。

日本の平均年間降雨量が約1800ミリもあるのに対し、ヨーロッパの年間降雨量は800ミリ前後で湿度が低い。『食物と日本人』の著者、樋口清之は、「パリの湿度が平均六七パーセントに対して東京の湿度は三十三パーセントと倍も違う、東京は腐りの街でパリは腐らない街である」とわが国の食文化を「腐りの食文化」だと評した。

和食の世界を彩るのは、基本調味料の味噌・醤油、漬物、寿司、日本酒など、米麹でつくられる発酵食品である。

米麹は、塩に蒸米を加え、その上から椿の木灰を振りかけて、7月から8月に仕込んで発酵を待つ。すると花のように一面に麹の胞子が発芽する。

麹ができる様子は、昔話の枯れ木に灰を蒔いて桜の花を咲かせた、「花咲爺さん」を連想させる。昔から麹は、「種麴屋」を通して、全国の味噌・醤油や日本酒の醸造所や塩蔵食品をつくる店に売られ、その地の気候風土や水にあった伝統的な発酵食品が育っていった。

日本に味噌が伝えられたのは飛鳥時代で、大宝律令(701)の大膳職に「未醤」という大豆の発酵食品があり、それが味噌になったといわれる。醤油は味噌から染み出た汁が調味料の始まりで、味噌の副産物である。

鎌倉後期(1254)に禅僧、覚心が宋から径山味噌の製法が伝えられた。味噌の製法を教える際に、味噌樽の底にたまった汁が美味いことが偶然にわかり、「溜まり醤油」が作られるようになったという。

麹菌を使った発酵食品に「金山寺味噌」がある。味噌の中にナス、瓜、生姜、紫蘇の実など、野菜を刻んで入れ込んだ味噌である。大豆に麹菌と塩を混ぜ、発酵・熟成させてつくる。微生物の力を借りて、うま味と香りを引き出す。

醤油は、室町時代に普及し、茶道とともに発達した懐石料理と結びついて、日本料理の味覚をつくる基本調味料となり、料理文化が飛躍的に成長を遂げた。 

鎌倉時代には、「なめ味噌」がご飯のおかずのひとつとして、武士たちの体力をつくる栄養源であった。戦国時代には味噌は重要な兵糧のひとつであった。

ちなみに、天下統一を目指した織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康の三人は共に、大豆味噌の文化圏の出身である。

わが国の湿潤な気候風土に育った米麹は、多種多様な発酵食品を生み出した源となり、独自な和食文化を醸成し、日本人の健康を支えてきたのである。

 

4.味噌汁の見直し

和食の食卓には、ご飯に味噌汁は欠かせない存在である。江戸時代の諺に「朝の味噌汁は毒消し」とか、「医者に金を払うより味噌屋に払え」といわれたように、朝一番の味噌汁の生活習慣が、健康の維持に効果があることを体験的に知っている。

現代の食生活は、70年代ころから、インスタント食品、冷凍食品、レトルト食品などの加工食品が店頭に溢れ、電子レンジで温めればすぐに調理される、手間をかけないで食事ができる、ファーストフードの潮流が食のスタイルを大きく変えている。

最近の一般家庭の朝食に、パン食が半数を占め、ご飯と味噌汁の和食を超える勢いだといわれている。それにともない、米、味噌、塩の消費量がともに右肩下がりに減っている。なかでも味噌汁は、塩分が多いからと減塩運動の格好のターゲットにされ、減温思想の象徴的な対象になっている。

ひと椀の塩分は、約2グラムだとすると、厚労省の塩分摂取量の基準である大人ひとり当たり一日8グラムの四分の一を摂取したことになり、食事から味噌汁と漬物を省く減塩志向が味噌汁の排除につながっている。

味噌に含まれる原料の塩は約17パーセント。味噌汁として飲むときには、塩分が約0.9パーセントに薄められる。それは、人が美味しいと感じる塩分濃度である。

いろんな具が入っているのに味噌汁である。汁だけをとらえて塩分量を測定した数値だけが独り歩きし、味噌汁全体の栄養価を計る視点に欠けている。

味噌に含まれるたんぱく質は、豆味噌で牛肉とほぼ同じ18%前後である。日本人に不足がちのビタミンやミネラルが豊富に含まれている。

ある研究機関の免疫学の調査結果では、一杯の味噌汁には、カルシウムと鉄分が一日必要量の約25パーセント占めているというデータがある。ビタミンAを含んだ野菜の具の多い地域では、胃潰瘍やがんの死亡率が低いなど、栄養学的な味噌汁の効能が立証されている。免疫学の調査でも、味噌汁を毎朝飲んでいる人では、がん、高血圧、心臓疾患、肝硬変などの疾患による死亡率低いことが報告されている。

和食の危機が問われている現在、味噌汁の再評価こそ、先人の知恵を継承した和食文化を守る重要なカギになるであろう。

 

5.コラム 江戸の食事

江戸は、100万人を超える大消費都市である。武士と町人が同じ人口比率で、江戸に参勤交代でくる武士や職人の独身男性が多かった。そのため蕎麦、天ぷら、飯屋などの屋台や居酒屋など、外食の飲食店で賑わった。庶民の間では、田楽、団子、寿司など、何でも一品が四文で気楽に食べられる「四文屋」と呼ばれる屋台が繁盛。江戸は、ファーストフードの食文化の街であった。

江戸元禄(1688-1703)頃から、大名に召抱えられていた料理人が八百膳などの高級料亭に雇われるようになり、江戸の湾内で獲れる魚介類を調理した江戸前料理が流行、船宿や料亭が繁盛。大名や裕福な町人の間では利休の一汁三菜のわび・さび仕立の茶会料理が盛んに開かれるようになり、夜になれば、居酒屋、料亭、茶屋が賑わい、食事を楽しむ外食文化の花が咲いた。

江戸前を代表する食べ物に握り寿司がある。文政年間(1818-29)、両国の華屋与兵衛が考案したという江戸湾で獲れる海老、穴子、貝、コハダなどを使った即席の「握り寿司」は、せっかちな江戸っ子におおいに受けた。今日の握り寿司に比べて、ズッシリとした手ごたえのある大きさで、酢は現在の半分の量、塩は三倍とかなり塩のきいた寿司であった。江戸前の刺身は、「煎り酒」につけて食べるのが江戸の定番で、大川で獲れる白身魚や貝類の刺身に相性がよく、味を引き立てた。

煎酒は日本酒に梅干しと昆布、鰹節、干し椎茸の出汁を加えコトコトと煮詰めた調味料である。醤油が普及していなかった江戸中期まで、江戸時代の食卓では欠かせない調味料であった。江戸時代の中頃になると、関東の野田、銚子で、地元の行徳塩と関東平野の大豆や小麦を原料にした「濃口醤油」が普及、甘辛の江戸の味が料理のベースになった。

江戸の朝は、納豆、豆腐、蜆売りの威勢のよいかけ声で始まる。江戸庶民の一般家庭では、朝昼晩の三食の食習慣が定着し、食卓には、ご飯に味噌汁を中心に、イワシやアジなどの干物や焼魚、小魚やエビの佃煮、納豆、豆腐、野菜の糠漬けなど、多彩なおかずが食卓に登場する、現代の一汁三菜の和食のかたちである。

江戸の後期には、料理人の口伝であった料理法が書かれた『豆腐百珍』などの料理本が流行。塩売りから、あら塩を買うと、竹籠に吊るしてにがりをとり、自家製の豆腐をつくる、素焼きの平たい焙烙で、胡麻塩、紫蘇塩などの振り塩をつくるなど、江戸庶民のあいだに料理をつくり、食べる楽しみがうまれた。

春には花見のお弁当、初夏には初物の鰹、土用の丑の鰻、江戸の夏の風物詩に甘酒がある。酒粕ではなく、麹からできた甘酒は、ほのかな甘みがあり、夏バテに最適な「飲む点滴」であった。江戸の食事は、季節の旬を楽しんだ料理文化である。

1876年(明治9年)、日本に栄養学を紹介した外人医師のベルツが東京から日光まで旅をした記録、『ベルツの日記』のなかで当時の人力車夫が一日に50キロの道を走るのは当たり前という体力に驚嘆。彼らの食事が栄養学の知識からあまりにもかけ離れていたので、ドイツ流の栄養学に従って肉料理を与えたところ、人力車夫は、三日で激しい疲労に見舞われた。そこで普段の質素な食事に戻したところ、また元気になって走れるようになったという、ベルツの人力車夫の実験が紹介されている。

現代の栄養学からみても、豆腐、味噌や漬物などの大豆発酵食品から良質なたんぱく質を摂り、小魚や海藻などのカルシウム、マグネシウムなどの豊富なミネラルに富んだ、栄養バランスの良いヘルシィな食事である。

山椒も小粒でピリリと辛い、日本人の体力の源泉は和食の賜物だったのである。

 

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増田 幸右 について

1964-1968 武蔵野美術大学 グラフィックデザイン科卒業 1968-1994 広告代理店電通入社 クリエーティブ・ディレクター 2002-2004 立教大学大学院 修士課程 2003-2008 (株)GN21 経営コンサルタント 2007-2010 浦安図書館ボランティアBCU会員 2010-2014 企業ブランドアドバイザー 2006-2014 日本海水学会員
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