1.米の食文化・麦の食文化

世界の国々の伝統的な食文化は、その国独自の気候や風土に適した食物を収穫し、調理を工夫して美味しく食べる、先人の食の知恵が伝承されたものです。

世界の中心的な農作物は、米、小麦、トウモロコシなどのイネ科の植物が栽培の主

流となっていますが、米や麦、トウモロコシは、ひと粒の種から何百、何千という穀物が収穫できるため、安定した食料の供給が可能になり、多くのひとの食料となっています。気候的な条件で地球上の作物の分布をみると、米は、おもに温暖多雨のモンスーン地帯の東アジアを中心に広がり、稲作には欠かせない、豊富な水に恵まれたところに発達しています。

気候的な条件で地球上の作物の分布をみると、米は、おもに温暖多雨のモンスーン地帯の東アジアを中心に広がり、米の栽培には、温暖で湿った地域で米の生育に欠かせない、豊富な水に恵まれたところに発達しています。

麦の栽培は寒冷で乾燥したところで収穫ができます。世界の四大文明の地、メソポタミアで発達した麦の食文化は、西アジアからヨーロッパに広範にわたり伝播され、農耕を営みながら牧畜を兼ね、粉食のパンに家畜の肉や乳が加わった麦の食文化が発達します。

稲作は、八千年前に揚子江の下流域で発祥し、東南アジアのモンスーン地帯に広がり、わが国に稲作が伝来したのは、紀元前三世紀の縄文末期とされています。

それまでの縄文時代の食文化は、ドングリやクルミなどの木の実やワラビやウド、ゼンマイ、きのこなどを採取し、海から様々な魚や貝を獲るという自然採取の食生活でしたが、弥生時代に稲作が普及すると、集落を形成し定着した農耕生活に変わります。  

「瑞穂の国」と謳われた米を中心としたわが国の食文化の幕が開かれたのです。

食物の自然採取や狩猟生活から定住した農耕生活になると、集落を賄う料理用の塩や食物の保存、家畜の飼料など、日常の暮らしに欠かせない塩が大量に求められるようになってきます。わが国の本格的な製塩の歴史は稲作と同時に始まります。

はじめは海水を土器で煮つめて塩を採取していましたが、海藻に付着した塩の粒を海水で溶かして濃縮した塩水をつくり、それを土器で煮詰める製塩法が発達してきます。万葉集に語り継がれている「藻塩焼き」とよばれる製塩です。

日本人が主食にした米は、ジャポニカ種で粒が小さく丸みを帯びており、炊くと粘りと弾力があるご飯になります。当初は土器で煮て粥にして食べていましたが、古墳時代になると「甑(せいろ)」で蒸したご飯が登場、強飯(こわめし)とよばれ、平安時代になると鉄釜が普及して、水分の多いふっくらとしたご飯ができるようになります。

ジャポニカ米のほのかな香りと、噛むと淡い甘味が感じられる独特の淡味が和食の中心となって、日本人の繊細な味覚を育ててきたといえます。

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増田 幸右 について

1964-1968 武蔵野美術大学 グラフィックデザイン科卒業 1968-1994 広告代理店電通入社 クリエーティブ・ディレクター 2002-2004 立教大学大学院 修士課程 2003-2008 (株)GN21 経営コンサルタント 2007-2010 浦安図書館ボランティアBCU会員 2010-2014 企業ブランドアドバイザー 2006-2014 日本海水学会員
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