まえがき 塩のルネッサンス

 

 

 

和の塩の復活

海に囲まれたわが国では、むかしから海水から塩をつくっていたので、「塩」と「潮」は同義語である。塩は米塩の資といわれ、ひとが生きるためにはなくてはならない身近な存在である。塩に親しみを込めて“お塩”と呼んでいる。

塩はその国の食文化と深く関わっている。フランス料理、イタリア料理、中国料理、トルコ料理など、料理文化のある国々には、それぞれ独自の料理にふさわしい塩が存在しており、その地の気候や風土に適して育った食材を使い、多彩な料理がつくられている。わが国には岩塩、湖塩などの塩資源がなく、海水を原料とした塩づくりが行われてきたが、湿度が高く雨の多い気候のため、太陽と風による自然蒸発で結晶する天日塩の環境に恵まれていない。

そのため、最初に塩田で天日に晒して濃縮塩水をつくり、それを釜で加熱蒸発して塩の結晶を採取する、二つの工程で製塩する方法が発達、土器製塩に始まって以来、2000年に及ぶ塩田製塩が続いてきた歴史がある。

弥生時代に伝来した稲作と塩づくりは、歩調を合わせるように、温暖で多湿の気候風土が、カビや麹などの微生物が繁殖しやすく環境から、醤油・味噌、漬物などの発酵食品が生れ育ち、乾燥した西欧にはない独自の和食文化が醸成された。

淡い味の米とうま味のある塩味の調味料がつくる味覚は、日本人の遺伝子に深く刻まれている。表題の「和の塩」とは、この和食文化を支えてきた伝統の平釜で焚いた日本独自の自然海塩を意味している。

日本列島は海に取り囲まれており、塩資源は無尽蔵である。多くの人が塩は国内の海水からつくっていると思われているが、昭和46年(1971)のイオン交換膜製塩の転換以来、塩の自由化が始まる平成9年(1997)まで専売の法律によって国内の海水を使って塩をつくるは禁じられていたからである。

塩の自由化により、国が管理していた塩の製造、販売、輸入の垣根が外され、民間企業が自由に塩の業界に参入できるようになった。塩の流通では、商社や食品卸問屋の参入と海外塩の輸入・販売が自由化、世界各国から様々な塩が輸入される時代になった。製塩では、約50年ぶりに伝統的な国内の海水を使った平釜焚きの塩づくりが復活したのである。塩の自由化で塩の生産方式に制約がなくなり、日本の伝統的な平釜による塩づくりが各地の海辺で始められた。

平釜焚きは、じっくり時間をかけて塩の結晶を育て、攪拌の仕方によって結晶のかたちが異なってくる。塩職人の技と経験がものをいう。柔らかく溶けやすい、ふんわりと軽い、嵩のある塩である。微量のにがり成分が塩角を包んだまろやかな塩味が繊細な和食の味を創る。塩職人と料理人との切磋琢磨から、美味しい料理を創る塩がつくられ、その繊細な味覚が和食文化をつくってきたのである。

 

塩の近代工業化

昭和46年(1971)、流下式塩田を最後に2000年続いてきた塩田の製塩に幕が閉じられた。政府は全国の塩田を全面撤廃し、イオン交換膜製塩法に転換。海水から電気エネルギーを使って塩化ナトリウムを抽出した濃縮塩水をつくる、世界で初めての製塩法を採用、≪白い革命≫とよばれた。

これまでの天候に左右される農耕的な製塩からプラントによる工業的な大量生産を実現し、専売の長年の念願であった国民への塩の安定供給と低価格を達成した。

そして近代工業の発展でソーダ工業用の原料塩のニーズが増大し、塩化ナトリウムの純度の高い原料塩の高品質と低コストの塩を大量生産することを最優先し、ひたむきに邁進した。専売がめざしてきた純度主義が、イオン交換膜方式という日本独自の製塩法を生みだし、ついに純度99.9%、スリーナインの高純度な塩の実現という終着ゴールにたどり着いたのである。

そこには食用塩と工業塩を品質で区別する発想に乏しく、経済効率を第一にした塩の近代工業化の道をたどってきた専売の歴史がある。

化学工業的な製塩を後押ししたのは、70年代の高度経済成長期、工業廃水による河川の汚染による公害が発生し、深刻な社会問題に発展したことで、海水から水銀や重金属などの有害物質を取り除くのにイオン交換膜が採用されたといわれる。

この樹脂でできたイオン膜は、100万分の1mmという精度で有害物質を通さないことから、当時、塩の汚染を防ぐ安全性が高く評価された。

しかし、イオン交換膜製塩に転換したときに、従来の製塩業の一部からの塩田復活の声を契機に、自然食団体、有識者、料理人たちの自然塩復活運動へと広がり、5万名の署名を集め国会に陳情した。その結果、専売の輸入天日塩を淡水で溶解した濃厚な塩水に、にがりを加えて平釜で炊いた「にがり添加再製塩」の製造が許可された。それが当時‟自然塩”と呼ばれた「伯方の塩」、「赤穂の塩」、「シママース」の溶解・再製塩である。法律で国内の海水を使うことが禁止されていたことから生まれた妥協の産物といわれ、塩の加工品の特殊用塩に分類された。

自由化以前のわが国の食用塩は、イオン交換膜で海水から塩化ナトリウムを抽出した濃縮塩水を真空式蒸発釜で結晶化した食塩と輸入天日塩を淡水で溶解、再結晶した二つの塩が主流であった。年間約140万トンが大量生産され、その9割近くが専売塩であったが、あとは民間の平釜焚きの溶解・再製塩であった。

塩の近代化は、化学工業の進展により“食べる塩”が工業の原料塩へと変容していった軌跡であった。塩の自由化とは、消費者の視点にたって、料理の用途に合った食生活を豊かにする塩、和食に最適な塩の再生をめざす塩のルネッサンスである。

 

減塩思想の壁

現在、わが国の食生活は、朝食にパン食の家庭が半分を占めているように、食の西欧化が進んできている。食の自給率は40%を占め、コメの消費が年々減少し、それと比例して塩の消費量も減少傾向にある。

わが国の食用塩の消費量は近年平均140万トンで推移してきたが、2015年度の財務省統計では、約110万トンに減少してきている。(内訳: イオン交換膜製塩約95万トン、溶解再製塩と小規模の平釜製塩など約15万トン)

塩の消費量減少の背景は、加工食品の流通で塩の保存力に替わって、コールドチェーンや減塩商品の普及が挙げられるが、一番の原因は、味噌汁や漬物など塩分が多い和食の減少挙げられる。減塩の風潮は、益々、食の欧米化に拍車をかけ、高脂肪・高カロリーの食事に向かう。行き過ぎた減塩思想が伝統的な和食文化の伝承に大きな障壁となっている。塩の偏見を排除するには、まず、塩とは何か、塩はどのような働きをしているのか、「塩を知る」、塩の普遍的な価値を理解することが、生命への信頼を取り戻し、無意味な健康不安から解放される唯一の方法である。

マスコミがもたらす断片的な塩の情報は、塩の全体像を正しくとらえることを妨げ、根拠のない減塩思想の要因である。

第一章「塩の履歴」では、塩とは塩化ナトリウムNaClという化学的な塩の固定観念を脱皮して、塩は海水ミネラルの塊という視点から、塩の全体像と塩の素顔を通して、和の塩を理解する塩の基礎知識で始まる。

第二章「塩の力」は、塩の持つ働きである、「生命を維持する塩」「料理を美味しくする塩」のふたつの普遍的な価値をテーマにした。

塩は生命活動に欠かせない存在である。なぜ塩が命を支える力になっているのか、具体的に応えることに戸惑う。塩が生命を支える仕組みを見つめ直したい。

人は美味しい食べ物を求める。塩は食べ物を美味しくする、「味を創る力」がある。調理においては、塩の物理的、化学的な力を活かして、食材を食べやすくする、「調理する力」を備えている。料理・調理の世界で塩の果たしている役割と働きを再認識し、伝統的な塩の上手な使い方、選び方の手助けに役立つ情報を集めた。

第三章「和の塩」、第四章「和の塩の系譜」では、わが国の食文化と塩が両輪のように進化してきた和の塩の系譜をまとめた。「塩を知る」には、塩の知識だけでは、塩とは何か、ほんとうの塩の価値を知ることはできない。食文化のなかで塩の働きを知ることによって、初めて塩の普遍的な価値を知ることができる。

 

たかが塩、されど塩

今から50年前、日本専売公社の広報室が『塩の話あれこれ』というPR小冊子を発刊。このまえがきに「今、塩は生産から販売まで滑らかに流通し、安定した価格で、水や空気と同じように、一般家庭の台所につながっている。しかしあまりにも身近で、手に入りやすいために、塩の持つ貴重な価値が、ともすれば人々の脳裏から忘れがちではなかろうか」と書かれている。塩のことをあえて意識しないのは、50年前と今も少しも変わっていないような気がする。

歴史的な塩の自由化が始まり、消費者が店頭に並ぶ多数の塩の中からどの塩を選ぶか、塩を知ることによって、消費者の一人ひとりが塩の選択基準を持てば、わが国の食べる塩は変わる。塩業界は均一な工業的な塩だけではなく、豊かな食文化にふさわしい塩をつくり、食品加工や外食産業の塩の認識を変える大きな力なる。

塩の選択の自由の獲得は、消費者が塩を変えていく、塩のルネッサンスである。

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Ⅳ.和食はだしの料理文化

 

1.和食は引き算の料理

2.水と塩の調理

3.究極の淡味 

コラム 昆布消費量日本一の沖縄

 

1.和食は引き算の料理

世界の料理の中で和食が際立って異なるところは、だしで料理をつくるという発想である。フランス料理、イタリア料理では、動物の肉や骨を煮詰めてブイヨンやスープにさまざまな香辛料をつかったソースの味が料理の旨さを創る。ひとの味覚の感性と調理技術を駆使することによって、自然にはない味を創造、中国料理では肉や骨のだしやラードなどの油脂を使い、食材を煮込んだ濃厚なうま味を創りだす。

和食では四季折々の多彩な旬の食材にあまり手を加えずに新鮮なままを使う料理法が尊重される。鰹節や昆布のうま味を抽出しただしをベースにして、「料理をしないことが理想的な料理」という、素材の持ち味を味わうことを第一としている。

だしをつくることを「だしを引く」ともいう。だしに使われた食材は、だしを取り終えると取り除くからである。フランス、中国の積極的に調味する料理を「足し算の料理」とすれば、和食は「引き算の料理」といわれる所以である。

和食の基本味は、鰹節、昆布、干し椎茸など、すべて乾燥した食材からつくられ、肉や野菜、魚介類に含まれるたんぱく質のアミノ酸が凝縮された旨味成分である。

昆布のグルタミン酸、鰹節のイノシン酸、貝類のコハク酸、干し椎茸のグァニル酸などのうま味成分に塩、醤油が加わると、はじめて和食の美味しさを味覚できる。

グルタミン酸とイノシン酸は、舌の旨みの受容体への結合を互いに強め合う作用があり、この二つが同時に加わると、それぞれのうま味成分は、相互に影響しあってうま味は数倍に変化する。

和食では、グルタミン酸、イノシン酸の美味しさを活用して、鯛やキスの白身魚の昆布締め、京料理の筍とわかめ、大豆と昆布など、いろんな料理がうみだされ、昔、江戸前のハゼを白焼して干しで昆布巻をつくる、正月のお雑煮のだしに使われたのも、ふたつのうま味の組み合わせ効果である。

東南アジアでは、ニョクマム、ナンプラー、ヨーロッパには、トマトスープのガスパーチョがあり、イタリア料理では、トマトに含まれるアミノ酸の一種のグルタミン酸の旨みを活かし、フランス料理では、仔牛のだし「フォン・ド・ボー」、鶏ガラのだし「フォン・ド・ボラィユ」、鴨の骨のだし「フォン・ド・キャナール」が料理文化を担っている。

 

2.水と塩の調理

和食独自の料理文化を発展させたひとつの要因は水の良さがある。日本各地に湧き出る清水の癖のない、美味しい水。豆腐も水の良し悪しが味の決め手になる。

豊かな雨量と湿度、温暖な気候に恵まれ、塩、酢、みりん、醤油、などの発酵調味料が生まれ、和食のベースとなっている。

和食には吸い物や味噌汁、鍋物など、水の使われる料理が多い。出汁の料理文化が発達した要因に、調理の舞台裏では、良質な水と洗練された塩味が両輪となって料理を支えている。良質で豊富な水が和食の引き算の料理をつくりだした原動力になっている。

わが国では、古来より自然採取したドングリやトチなどの木の実や野草を流水に浸し、お湯で時間をかけて煮るなどして「アク抜き」をする調理が発達。だしの美味しさを妨げる苦味や臭みを除いてから料理を仕上げる。

和食では、旬の野菜の味を活かし、鮮やかな色合いの盛り付けを大切するため、食材のうま味と自然の彩りを保つのに、調理の前段階において水と塩がふんだんに使われる。青菜を茹でるときにひとつまみの塩をくわえると鮮やかな緑色に仕上がる。これを「色出し」といい、青菜の色素が加熱で塩のナトリウムと結合して緑色が維持される化学的な効果がある。りんごや桃の皮をむいて切ったときに、0.3パーセント程の塩水にしばらく浸すと「色止め」の効果があるのはよく知られている。

また、里芋、大根、人参などの根菜を茹でるときに塩を入れると、塩のたんぱく質を変容させるちからが働いて野菜が柔らかくなる。

なかでも魚の調理には、魚の生臭さやぬめりを取るのに、丹念に塩を使って水洗いをし、塩を振って水分を取り、魚のうま味を引き出すなど、塩と水がいくどもつかわれ、魚料理に不可欠な存在である。(詳細は塩の作法)

和食だしには、水に含まれるカルシウムやマグネシウム、ナトリウム、カリウムなどのミネラルの組成や量の違いによって、だしの味が大きく左右される。水には柔らかい水と硬い水があり、ミネラルの多い水を硬水、少ない水を軟水といい、一般に日本は軟水が多く、欧州の多くは硬水である。

和風のだしの旨みを引き出すのは軟水が適しており、にがり成分が多いとうま味成分と結合してだしのうま味が出てこなくなる。また、カルシウムが多いと植物繊維を硬化させるため、野菜を柔らかく煮る場合や炊飯も軟水が向いている。

昆布だしは、数時間水に浸してから、加熱し沸騰直前に取り出すのが基本。つぎに鰹節を足し、出しがらを濾して一番だしをつくり、雑味のないすっきりとした味の吸い物、汁物に使い、煮物には、醤油をつぎ足して、二番だしを使う。

日本人は昆布と鰹だしの風味をおいしく感じる、強い嗜好を持っている。だしの風味は嗅覚であり、風味の好き嫌いは後天的に決まるといわれ、だしの匂いを好きになるためには、幼児期からの味覚体験が重要であることが明らかになっている。

 

3.究極の淡味

「おいしい」を漢字では、「美味しい」、または「滋味しい」と当て字がつかわれている。美味しいは、「うま味」と似て、油や糖分、塩分の効いた美味しい料理を想いうかべるが、滋味しいは、豊かな深い味わいのニュアンスをもっている。

淡味とは、あるようでないような味、一説には材料そのものの味をさすともいわれ、それは茶道の「淡交の精神」からきた言葉ともいわれる。相手を引き立てるように、食材の味を活かす淡味を意味し、けばけばしさや華やかな美味をさすのではなく、こころを落ちつけ、しみじみと味わうほんとうの美味だといわれる。

その代表的な究極の淡味は、懐石料理の「箸洗」といわれる素湯に近い薄味の吸い物である。懐石の一汁三菜が終わり、一期一会の心をこめた盃事の前に、お湯に昆布を箸でつまんで入れ、塩や梅干しで塩加減された淡い味の吸い物である。

ここには一汁三菜のうま味を引き立てる味の演出ともいえる、日本人の料理を楽しむ食文化が息づいている。

京料理の老舗「菊の井」の村田吉弘氏が著した料理の本に、京料理の淡味について、“残心の料理がよし” という一節がある。若い板前修業のときに先輩から、料理は食べているそのときに、旨すぎるのはよくない。三日くらい後に「ああ、あれは旨かった」と思い出させるような料理が理想の味付けであるという、「残心」の心得をよく聞かされたと語っている。これまで、素材の旨みを引き出すのにもう少し塩を入れたら美味しくなるけどなと思った手前で手をとめるのが、残心を起こさせるための薄味だと語っている。料理人には淡味が究極の塩の技だという思いが込められている。

 

コラム 昆布消費量日本一の沖縄

わが国で、だしの料理文化がもっとも進んでいるのは沖縄料理である。沖縄の昆布と鰹節の消費量が日本一である。沖縄の伝統料理は、ゴーヤや豆腐、豚肉、野菜などを混ぜて炒める、チャンプルーや塩汁で煮た魚のマース煮、昆布や切干大根を炒めたイリチーなど、昆布と鰹節のだしと塩味をベースにうま味を創っている。

19世紀、琉球を支配していた薩摩藩は中国との交易品である昆布の輸出基地として那覇に「昆布座」を設け、朝貢船による昆布の交易で莫大な利益を得ていた。↑ブ

中国への輸出用の昆布は当初、琉球人にとって貴族階級のものであったが、しだいに庶民にまで普及し、長期保存ができる昆布は、中国の帰化人がもたらした豚肉と相性が良く、豚肉のイノシン酸と昆布のグルタミン酸のうま味が一緒になると、うま味が倍増し、細切の豚肉の炒め煮、豚足に昆布の焚き合わせなど、豚肉と昆布だしから沖縄独特のうま味とコクのある郷土料理がうまれた。

この美味しさを沖縄では、“アジクーター”という含蓄のある言葉で表現し、単に美味しいというだけではなく、なんとも言い表せない味わいのことで、そこに沖縄の食文化のエッセンスが込められている。

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塩の味覚教育

1.うま味調味料の味覚障害

近年、若者のあいだに味覚障害が問題になっている。濃厚でコクのある味を美味しいと感じ、家庭の「おふくろの味」を美味しいと思わなくなっている若者が多いという。その背景には、幼児期のころから、化学調味料を大量に使う加工食品を食べ続けているうちに、濃い味に慣れ、自然の素材本来の美味しさを味わえなくなっているからである。

うま味調味料とは、うま味を刺激する物質を人工的に生成した調味料である。その主成分はグルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などのナトリウム塩である。

かつては化学調味料と称されていたが、1980年代から自然イメージの転換を図るため、うま味調味料と呼び変えられるようになったが、化学調味料であることに変りはない。うま味調味料は、かつては石油たんぱくから作られていたが、現在では、砂糖を抽出した残りかす(廃糖蜜)を微生物に与えてグルタミン酸を生成させ、それを水酸化ナトリウムと反応させてナトリウム塩にする方法が主流となっている。

加工食品に塩が大量に使われるのには、ふたつの理由がある。ひとつは、長期間、店頭に置かれるので腐敗の防止のために、保存料、Ph調整剤、増粘多糖類などの添加物が使われ、添加物の味覚を隠すために、甘さを濃くする、辛さを濃くして濃い味にする。その結果濃い味に慣れると、薄い塩味や甘味を区別できなくなって認知閾値といわれる味覚障害の原因となる。

そして、もうひとつは、わが国では業務用の塩は、純度が高く経済効率の良い食塩(イオン膜塩)や精製塩を使う結果、塩辛さがいつまでも残るので、うま味調味料を大量に加えることによって、食塩の鹹味(かんみ)を抑え、コクのある美味しい味に仕上げるのである。

食塩はうま味調味料の味を引き立てる対比効果の働きと同時に、塩辛さを抑える効果を併せ持っている。本来、味を創る塩が行き過ぎたうま味調味料の味を隠すのに使われる、現代の皮肉な塩の新たな価値である。

スーパー、コンビニのカップ麺、即席スープ、かまぼこ、ソーセージ、だしの素、ポテトチップス、煎餅、その他あらゆる食べ物にうま味調味料が使われており、それを避けた加工食品を探すのは不可能である。うま味調味料を使った加工食品には「調味料(アミノ酸等)」と一括表示されている。これはグルタミン酸ナトリウム(MSG)を主成分とし、イノシン酸、グアニル酸などの核酸系調味料が混ざった複合調味料であることを意味している。どれだけ多くの化学調味料を使っても、調味料(アミノ酸等)と一括表示すれば許されるため、アミノ酸の健康的なイメージに隠れて、大量のうま味調味料が使われている可能性があり、淡泊で繊細な料理の味が分からなくなるという味覚障害の悪循環を招く一因となる。うま味調味料はナトリウム塩で、その約2.5倍が塩分相当量となるため、知らず知らずのうちに塩分の過剰摂取になってしまうことに注意したい。

 

2.たんぱく加水分解が創る味

加工食品の濃厚な味は、塩、化学調味料、タンパク加水分解物の三つをベースに人工的に造られた味である。カップラーメンやハンバーグ、パスタなど、ファースト・フードには、うま味調味料や従来の化学調味料によってつくられる単調なうま味では飽き足らず、コクのある濃厚な味をつくるのに、アミノ酸化合物の「タンパク加水分解物」が添加されている。

タンパク加水分解物は、たんぱく質を分解してつくられるアミノ酸である。その製造方法は、酵素を使ってたんぱく質を分解する方法と、塩酸を使ってたんぱく質を加水分解するふたつの方法がある。酵素による発酵法には、微生物を調整する塩が深く関与しているが、時間がかかるため、コスト的な理由から大豆カス、魚粉、肉のゼラチンなどから塩酸分解法を使って、アミノ酸をつくるのが主流になっている。

分解が終わった後の塩酸はアルカリで中和し、食塩にして除去。食品添加物ではなく食品として扱われている。

タンパク加水分解物を添加すると食品の風味を自在に作ることができるので、現在日本の加工食品に欠かせない食品添加物となっている。

タンパク加水分解物が子供たちの味覚を崩壊すると警告したのは、食品添加物の商社から塩の世界に転身した経歴をもつ『食品の裏側』の著者、阿部司氏である。

化学的に生み出された添加物をいろいろ組み合わせれば、豚肉、鶏肉も実際には使っていないのに、豚骨スープもチキン味も出来てしまう。品質の劣る食材を美味しくするのに、タンパク加水分解物という「魔法の粉」が使われていると告発した。 

最近のカップ緬やスナック菓子、レトルト食品の成分表示を見てみると、自然食材のエキスや酵母などが表記されていて、発酵による自然食品のイメージを装っているが、酵母エキスは、培養した酵母を原料に、培養技術により開発した酵素分解法製造したもので、酵母由来の旨味成分のコクと香りをつくりだすイノシン酸、グアニル酸を含んだ化学物質のエキスである。

もともと自然の食材には、うま味成分がある。塩がそのうま味を引き出す働きがある。きのこや肉類にはグアニル酸、魚介類にはイノシン酸やコハク酸といううま味成分が多く、トマトや玉ねぎなどの野菜も、うま味成分のひとつグルタミン酸が豊富に含まれている。うま味の相乗効果で美味しい味がつくられれば、うま味調味料を使う必要はなく、身体に優しい食事をつくることができる。

 

3.子供の健康を損なう偏食

近年、児童の肥満や骨折、アレルギー疾患が増えている。その背景には、朝食抜きの児童、ひとりで食事をする「個食」といった、児童の食環境の貧困化が問題視されている。核家族化、女性の社会進出、子供の塾通いなどにより、家族揃って食卓を囲む機会の少ない家庭などの社会的な要因も大きく影響しているが、日常的にスナック菓子、清涼飲料水、インスタント食品などのファストフードを食べる習慣が一番大きな要因となっている。教育現場では、栄養バランスの偏りや栄養不足が原因で、体力の低下や学習能力に問題を抱えている児童やすぐに”切れる” 情緒が不安定な子供が増えているという報告がある。

平成17年、子供たちが健康的な食事を摂り、食物のほんとうの味を知る、自分で食を選ぶ知識・能力を身につけるための教育を義務付ける、世界的に例のない食育基本法が施行された。ファーストフード社会の中で、自らの舌で食べ物の良し悪しを判断する能力、”選食力”を身に着け、自らの身を守ること、親に対しては家族一緒に食事をする習慣と子供の躾を掲げている。こうした食を通して健康管理の能力を高め、食文化の伝承、地球環境まで、複合的な食育をめざしている。

平成25年12月に「和食-日本人の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されて以来、農水省の働きで全国的に和食文化の保護・継承の運動が推進され、最近では、自治体が公民館に地域の子供たちを集めて子供料理教室が各地で開かれ、地元の伝統料理にはじまり、和食の煮ものづくり、菜園で育てた野菜を料理するなど、料理の体験をとおして和食文化に触れる機会がもたれている。

 

4.味覚をとりもどす塩味

食育の第一歩は、化学調味料や食品添加物の味とは異なる、自然な食材の美味しさを発見する味覚体験である。人の身体の中で最も敏感な場所は舌である。この部分に対応する脳は早くから発達、幼少のころの多様な味覚刺激は脳の活性化に深く関わっており、人の脳は3歳から10歳までにまで完成するといわれる。

この間いろいろな食べ物の味覚が脳を刺激し、記憶される。食べ物の記憶が多ければ多いほど、味の違いを識別する能力が増して、食べる楽しさや繊維な味覚が育つといわれる。

東京のあるイタリア料理店のシェフは、子供たちに新鮮な野菜に自然海塩を振ったサラダを食べる料理教室を実践している。シンプルな塩味だけで生野菜の美味しさを体験することで、これまでのファーストフードの味とは全く異なる未知の味を発見し、驚く子供が多いという。つぎに豆腐や茹で卵、トマトに塩など、塩を振って食べる体験を通して、しだいに食べ物の味に敏感になってくるといわれる。

ちなみにサラダの語源は、塩を振って食べることを意味し、ラテン語で塩のSalに由来している。野菜のみのシンプルサラダは塩で食べるのが基本になっている。

新鮮な生野菜のほのかな甘さや香りが塩を使うことによって、味の輪郭がはっきりしてくる。ハンバーグ、カップ麺の濃厚な味覚に慣れた子供の舌が本来の味覚を取り戻すことができる。

和食の基本である昆布だし、鰹だしをつくる子供の料理教室では、味の薄いだし汁に塩を少々加えるだけで旨味ができる初体験に驚く子供がいるという。

児童の感想には「だしの効いて美味しい」、「家でもつくってほしい」、「素材の味が分かった」等々、塩はそれ自体に風味やうま味はないが、食材の持つうま味をぐっと引き出し、「味を創る力」があることを知る。自然の食材本来の美味しさを最大限に引き出す塩味は、和食を支える基本調味料である

食べ物は人の心身を健康に維持するのに欠かせない。自然な美味しさを味覚体験することによって、自ら適切な食品の選択できる能力を培い生きる力となる。

 

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Ⅱ.調理する塩の力

 

1.料理を創る塩

2.塩の脱水・浸透力

3.和食を彩る漬物

4.タンパク質を変性する力

5.野菜・果物の変色を防ぐ力

6.発酵を調節する塩の力

Ⅱ.塩の作法

1.米と魚の料理文化

2.和食の原型-包丁文化

3.魚料理と塩

4.コラム 蒸し鯛

Ⅲ.使い勝手の良い塩

1.家庭で揃える塩

2.食品加工の塩の選択

3.軽い塩・フレーク塩

 

Ⅱ.調理する塩の力

 

1.料理を創る塩

料理は、はじめに食材を食べやすい大きさに加工し、煮る、焼く、茹でるという「調理」を経てから、好みの味付けをする「調味」の二つのプロセスを通して美味しい食事をつくる、食のデザインである。調味が‟味を創る”のに対して、調理は、塩の物理的、科学的な力を使って、‟料理を創る”違いがある。

調理は、いつごろから発祥したか。時雨音羽著の『塩と民族』によれば、「古代人は食物を生のままで採って食べていたが、ふとしたことから火で加熱すると食物に著しく好影響することを知ったのであろう」と、火を使い、狩猟した動物を火で焼いて食べることを覚えたのが、その始まりだと述べている。自然の食物を狩猟・採取していた石器時代から農耕と牧畜の定住生活がはじまった8千年から6千年前、土器で食物の煮炊きが行われるようになったのが、料理文化の始まりである。

人類は食べるために料理を工夫し、美味しさを求めるのは、人類共通の願望である。美味しく食べる工夫は、エジプトやユーフラテスの古代文明の頃に、パンを焼く炉が作られ、インド料理のナンを焼く釜は、古くからの技法が今に継承されている。

調理は、人が生き延びるための人類の知恵の集積である。自然の全ての食物がそのまま安心して食べることが出来るとは限らない。加熱によって有害な微生物の殺菌、食材に付着している毒物の無毒化が行われ、食の安全性が確保されることで、人は生き延びることができた。そして切る、刻む、すり潰すなどの調理で食べやすく、食物の消化吸収を助け、煮る、焼くなどの加熱により硬い穀物、根菜、魚介類の食物組織が変化して美味しく食べることができる。塩には料理を創る力がある。

 

2.塩の脱水・浸透力

食物の腐敗を防いで食物を保存するのに、乾燥、燻製、塩漬け、砂糖漬けなど、水分を取り除くことが基本である。塩漬けの保存は、浸透圧の力で、野菜や魚肉の細胞から水分を抜いて、腐敗菌などの微生物が生きられない環境をつくるからである。

塩分10%以上の塩水に食物を浸けると、微生物の細胞の原形質が分離を起こして、雑菌の繁殖が抑えられ、食物の長期保存が可能になる。

野菜に塩を振っておくとしんなりしてくる。この現象を「青菜に塩」という。塩の力を端的に表した言葉である。調理のさまざまな場面で塩の脱水・浸透力が利用され、塩の調理技術は、あえて意識することもなく、家庭で毎日の食事が作られている。

塩の脱水・浸透圧の力は、味噌醤油、漬物など、塩が介在した多彩な塩蔵食品をつくる源泉になっている。料理をする人には、すでに周知の調理方法である、塩の脱水・浸透力を応用した塩の効果のあれこれをピックアップしてみると…。

□キュウリは、塩もみすると水が染み出てパリッと引き締まり、歯触りのよい食感がえられるようになります。青臭さがとれ、調味料がよく浸透し、美味しく仕上がる。

□新鮮なアジやイワシなど魚の干物をつくるときに3%程の塩水に魚を漬けると生臭さがとれ、浸透圧で水分が抜けて早く干しあがり、程よい塩味になる。

□豆や里芋を煮るときに、塩をひとつまみ入れると、芯まで軟らかく煮上がる。

□数の子、塩漬魚、古漬けなど、そのままでは塩辛くて食えない塩蔵食品は、それらの塩分より濃い塩水に浸しおくと塩分を抜くことができる。

□冷凍マグロを刺身で美味しく食べるのには、塩水で塩抜きしたあと、布にくるんで冷蔵庫で水分をとってから刺身にすると、刺身のうま味が引き立つ。

□炒め物などでは、塩には野菜などの水分を吸い出す脱水作用があるので、水っぽくならないように最後に塩を加えるとよい。

□鰹だしをとるときに、火を止めたらすぐに、ひとつまみの塩を加えて漉すと、だしガラにうま味成分が吸着するのを防ぐことができる。

 

3.和食を彩る漬物

漬物は和食に欠かせない一品である。二千年前の弥生時代、茄子、青菜、蕪、大根などの野菜の塩漬けした、「草醤」が漬物のルーツである。

塩のちからは、高い浸透圧により野菜の水分を減らし、水分活性を下げることによって微生物の増殖を抑制、腐敗を防ぐ効果を発揮する。

このような塩の浸透圧・脱水作用によって、細胞内に含まれていた糖質、タンパク質が分解されたアミノ酸の培養液となって微生物が生育される。

そして乳酸菌や酵母によって培養液の成分が発酵してうま味が野菜に浸透し、特有の漬物の風味がでてくる。これが“漬かった”といわれる状態である。

また、塩には好塩菌や乳酸菌、酵母などの微生物の発酵を調整する働きがあります。従って塩分濃度が2%程度の浅漬けでは防腐効果はほとんど期待できないが、一般的に濃度10%以上で微生物の繁殖は抑えることができる。長期に保存するためには、味噌醤油のように17%以上の塩分濃度にしないと微生物の繁殖を十分に抑えることができないといわれている。

とくに夏季の温度が30℃内外のときに、食塩濃度5%では腐敗菌が盛んに生育し、20%の食塩濃度となれば、ほとんど微生物の活動は見られなくなる。塩が多いほど防腐力は強く、塩蔵食品になる。ただし、同じ食塩濃度でも乳酸菌や酵母が共存すると、防腐効果が高まり、乳酸による酸味が強くなって長期の保存が可能になる。

塩をした漬物の上から石などで重しをかけるのは、腐らないうちに早く水分を外に

出してしまう効果があるからで、漬物には、脱水されることによって食物繊維が、生野菜に較べて1.5倍ほど多く摂取できる。

その結果、乳酸菌が強い胃酸に影響されることもなく腸まで届くことから、腸内環境を整える効果がある。なかでも糠漬けは、糠に含まれるビタミンB群が漬物に移り、生の場合に較べてビタミンB1が4倍から10倍程度多くなるといわれている。

□漬け床や調味料による漬物の分類

塩漬け……菜漬け、梅干し

糠漬け……たくあん漬け、糠みそ漬け

粕漬け……奈良漬け、ワサビ漬け

みそ漬け・しょうゆ漬け……福神漬け

こうじ漬け……こうじ漬け、べったら漬け

甘露漬け……甘露漬け、こがね漬け。

甘酢漬け……すぐき、あちゃら漬け。千枚漬け

酸味漬け……酢漬け、ピクルス

*参考資料文化科学省「五訂増補日本食品標準成分表」

 

4.タンパク質を変性する力

塩には、たんぱく質を溶解する力と凝固する力の二つの変性する働きがある。

パンやうどん、ギョウザの生地を作るときに、1%から3%の塩水を混ぜてよく練ると、小麦粉のたんぱく質の粘性が増してふっくらとした生地ができる。小麦粉に含まれるタンパク質の繊維がからみあって、グルテンの形成を促して、粘り強い柔らかな生地になるからである。

一方、塩には肉や魚、卵などのタンパク質を加熱すると固める働きがある。凝固させる作用がある。魚肉の練り物をつくるのに塩を加えると、なめらかで弾力のあるすり身に仕上り、それを加熱すると歯ごたえのある蒲鉾やさつま揚げができあがる。

魚肉の筋肉の繊維を構成しているタンパク質が加熱によりゲル状になるからである。

練り物に使う塩は、塩化ナトリウムの純度の高い塩を使うと塩角のある味になるため、カルシウム、マグネシウムなど、にがりを含んだ海塩を使って淡い味に仕上げる。

蒲鉾業界は塩の自由化が始まると、他の食品業界に先駆けて、伝統的な自然塩をつくる製塩メーカーと塩の蒲鉾にもっとも合う塩の共同開発に力を入れた。

ステーキを焼くときには、直前に振り塩をする。先に塩こしょうして、しばらくおくと浸透圧の作用で、肉のうま味が出てしまうからである。溶けにくい大粒の岩塩を振り塩すると、表面のタンパク質が熱で凝固し、肉のうま味が流れでるのを防ぐ。また煮魚の場合も同様に、沸騰してきてから入れる。こうすることによって魚の煮くずれを防ぐ効果があり、美味しく食べられる。鯉の刺身の洗いは、熱湯に一瞬に通す{≪湯引≫で、表面のたんぱく質を固め、それを冷やすと、白く縮れて生臭みが取れる。

このほか、塩のたんぱく質を変容させる力には、ミネラルの置換作用がある。カリフラワーやジャガイモ、里芋などを茹でるときに塩を入れると、野菜の固い細胞膜のカルシウムやマグネシウムがナトリウムと置き換わり、野菜を柔らかくする働きがある。

湯豆腐に塩を入れると、タンパク質を固めるにがり成分と置き換わって豆腐が固くなるのを防いで柔らかさを保ち、美味しい湯豆腐になる。

*蒲鉾写真 「小田原籠清」謹製

 

5.野菜・果物の変色を防ぐ力

りんごや桃の皮をむいて切ったとき、しばらくすると褐色に変色する。それらの果物の中にふくまれているポリフェノールの酵素が空気の酸素に触れて活性化し、酸化するからである。皮をむいたら、ひとつまみの塩水に浸すだけで酵素の活性が抑えられて変色を防ぐことができる。同時にビタミンCの酸化を防いで保護される。

フライドポテトを作るときにも、スライスしたじゃがいもを塩水にしばらく浸しておくと、酸化を防止することができる。青菜を茹でるときには湯に2%ほどのひとつまみの塩をくわえると鮮やかな緑色になって見映えのよく茹であがる。青菜の色素のクロロフィルが加熱により塩のナトリウムと結合して緑色が維持される。「色止め」とよばれる。

 

□塩の≪ひとつまみ≫の目分量

塩のひとつまみとは、親指と人差し指、中指の三本の指でつまんだ量をいう。(約0.6g)小さじ一杯は約6グラム、大匙一杯が約15グラム、塩一握りは約25グラム。

 

6.発酵を調節する塩の力

塩と麹による発酵は、パン、ソーセージ、チーズ、酒、漬物、味噌醤油、魚醤など、数多くの発酵食品や調味料が生まれた源泉である。

腐敗と発酵について、19世紀、仏のルイ・パスツールにより、酒、ワインなどの発酵は酵母菌の微生物の働きであることが発見された。塩を加えた食品が腐敗しないで長期間保存できるのは、塩自体に腐敗を防ぐ力があるのではなく、塩の浸透圧によって細菌の細胞内の水分が脱水され、増殖に必要な水分が不足するために細菌が繁殖できない環境がつくられるからである。

しかし、濃い塩分のなかでも繁殖できる耐塩菌、好塩菌と呼ばれる微生物がいる。微生物の細胞内にカリウムなどが蓄積されており、細胞外の塩分濃度と同じ浸透圧を保っているので塩のなかでも生きられる。塩には、腐敗菌の増殖を抑えながら、有用なカビや酵母、乳酸菌などの微生物を調整し、発酵の環境をつくる働きがある。

一般の腐敗菌は、10%以下の塩分濃度で発育が阻止されるが、酵母の中には、20%、カビでは25%くらいの濃度にも耐えるものがある。

塩分濃度や気候や水質の違いによって、微生物の繁殖の速度や働き方に微妙な違いがある。塩田でつくる天日塩には微生物が育つのに必要な栄養があり、温度も高いので、好塩菌が繁殖するのに適した環境にあるので、ときには塩田が好塩性の微生物で赤色に染まることがある。収穫後に塩水で洗浄すると元の白い塩になる。

好塩性の微生物は通常、人体に害を及ぼすことはないが、貯蔵中に汚染された天日塩によって塩漬魚が変色したり、魚の干物がピンク色に腐敗することがある。その点で加熱殺菌された塩を使えば、その心配はなく、安心して塩蔵食品に使うことができるが、塩化ナトリウムの純度の高い塩では、発酵が上手くいかない。

梅干しづくりの研究では、にがり添加の再製塩や自然海塩がもっとも適しているとの研究報告があり、海水塩に含まれるにがり(微量ミネラル)の働きが発酵に深く関わっていることが立証されている。

かつて、塩田からイオン交換膜の製塩に転換されたとき、ちょうどアメリカから返還された沖縄では、これまで塩田の自然塩から、イオン膜塩に一変したため、地元のモズクや、豚の塩漬けが腐る、漬物がうまく漬からないなどの「塩騒動」が起きたことがある。その後、専売公社は、こうした消費者の不満に応えて、イオン膜塩ににがりやリンゴ酸などを添加した「漬物塩」を発売した。歴史的な経緯からも、海水ミネラルの塊の塩にこそ、発酵をコントロールする力があることがよく分かる。

 

Ⅱ.塩の作法

1.米と魚の料理文化

2.和食の原型-包丁文化

3.魚料理と塩

4.コラム 蒸し鯛

 

1.米と魚の料理文化

わが国には飛鳥時代から明治に至るまで、1300年にわたって肉食を排してきた食文化の歴史がある。肉食をタブー視した料理文化の発達は、日本独自の一汁三菜の和食をあみだした源泉となっている。

わが国に中国の唐、隋から仏教思想がとりいれた律令国家が成立すると、仏教思想の殺生を禁じる戒律によって肉食が禁じられた。ことの発端は、608年に天武天皇は肉食禁止令を公布である。その背景には仏教思想の影響だけではなく、米は聖なる食物であり、肉食は稲作に障害をもたらすとされ、稲の順調な実りを願って肉食を排除したといわれている。

大和朝廷を頂点とする古代社会では、すでに豊かな米の収穫が富と権力を維持する社会が育っていた。それ以来、江戸時代の石高制度にいたるまで、米を国の政治経済の中心に置いた社会が続いた。昔から、生活に欠かせないものを「米塩の資」とよんでいたように、米と塩は生きていくのに貴重な存在である。

アジア・モンスーン地帯の稲作文化の国々のタンパク源は主に豚肉と魚であるが、

海に囲まれたわが国は、海の幸に恵まれていたので、肉食に替わるタンパク源として魚に価値をおいた食文化が発達した要因となっている。

山村では水田の片隅に魚が生息する溜池が設けられ、鮒やドジョウなどの小魚を獲り、いろりで乾燥し燻製にして保存食にしていた。腐りやすい魚の保存が、塩と米で漬け込むことで発酵し、鮒寿司のような馴れずしが誕生した。

米と魚の料理文化では、脂肪の多い豚肉の濃い味をさけて、鰹の煎汁などの魚のうま味の出汁を基本とした料理が発展、旬の野菜を活かした精進料理や季節を表現した懐石料理などの料理様式が発達した。米と魚と塩は和食の源流となっている。

 

2.和食の原型-包丁文化

室町時代は、農業生産が飛躍的に増加し、城下町の市場では、商品の流通が活発化し、能や茶道、庭園の芸術文化、禅の色彩の濃い懐石料理などの食文化が誕生し、日本人の衣食住の生活の原型がつくられた時代である。

古代の魚料理は、新鮮な魚を生のまま細かく切って酢に漬けて「なます」にして食べていたが、室町時代には、新鮮な魚をきれいに切りわけて刺身をつくる包丁文化が、調理の流儀となっていた。包丁文化が、和食の刺身の原型となっている。

公家や武家に仕えて鯉や鯛、鮎などの刺身、焼魚を調理する料理人は、「包丁人」とよばれ、宴席で魚や鳥をさばき、まな板の上に並べる演技を披露するもので、平安時代から朝廷や、貴族社会の人々のあいだで、宮中行事の一つとして行われ、その代表的なのが「四条流包丁儀式」である。烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)をまとった姿で、包丁刀と真魚箸(まなばし)のみを用いて、まな板の上の鯉・真鯛・真魚鰹など、食材に一切手を触れることなく魚をさばいていく。古式に則った所作とその包丁さばきを披露し、伝統の熟練の技を伝える厳粛な儀式として今に伝承され、板前の調理法の系譜となっている。

包丁文化が盛んになる一方で、禅宗寺院の庫院(台所)では、「調菜人」という役僧がいて精進料理をつくっており、豆腐、湯葉理にはじまり、京漬物、餅など、禅寺の調菜が作る料理法が京の庶民に広がり、京料理の原点となっている。

室町時代には、味噌・醤油の調味料が一般庶民にも普及し、一日三度の食事の習慣が定着、鎌倉時代に禅寺で発展した精進料理の高い調理技術が継承され、食文化に強い影響を与えている。今日のご飯を主食とした一汁三菜の和食のかたちが出来上がった。室町時代の料理文化は、包丁人と調菜人の二つの調理の世界が融合して、日本料理の基礎が出来たのである。

*写真 平安時代の厨房 「春日権現験記絵」東京国立博物館蔵

 

3.魚料理と塩の作法

米と魚の調味・調理を支えてきた立役者は塩である。米と魚は無塩の食物のため、ご飯と魚を食べるのに塩味は不可欠な存在である。塩が加わることではじめて美味しさが味覚される。板前の世界に、「塩振り三年」という料理修行のことわざがある。

料理が出来上がるまでに、料理の下ごしらえ、調理、味付けと多岐にわたって、塩が使われる。板前は、塩を上手に使う修業を重ねて技と知識を身につける。

魚料理ができ上がるまでに、料理人は三度の塩を使う。はじめに魚の鱗と内臓を取り除いて、軽く振り塩をして塩をすり込み、水洗いして魚のぬめりを取る。そして下処理の塩洗いを終えたあと、魚の水気や臭みを抜く塩じめをする。

焼き魚にする場合には、魚の表面にまんべんなく振り塩をする。すると塩の浸透圧で適度に水分を抜け、焦げ目がつきやすくなり、身崩れを防ぐことができる。最後の仕上げは、焼く前に、もう一度魚に振り塩をして20分位おいてから焼くと表面がパリッとし、中がふっくらとした香ばしい匂いの焼魚に仕上がる。

魚料理は、新鮮さや生きの良さを重んじる料理で、魚料理の格言に「生で食え、焼いて食え、それでもだめなら煮て食え」という教えがある。新鮮なうちは刺身に、少し鮮度が落ちたら焼き魚、煮るのは最後だという。鮮度に応じた使い分けが、刺身、焼き魚、煮付け、天ぷらなど多彩な魚料理に展開され、和食の食卓を飾る。

魚料理に使う塩は、それぞれの場面で、しっとり湿った塩、サラサラとした塩、仕上げの塩など、塩の使い分けが魚料理を美味しくするコツである。

世界で一番、魚を美味しく食べる、伝統的な塩の作法のある国は日本だけである。

ちなみに、海外の和食ブームで代表的な料理の寿司が美味しくなったのは、日本人の鮮度の高い魚の見分け方や血抜きして生臭みのない刺身をつくることを伝授したからだもといわれている。

 

振り塩

調理前の魚や肉に塩を振ることを「振り塩」という。魚や肉にまんべんなく塩を振るのに、手のひらに塩をのせ、魚の表面に均一に振りかける。一尺(30センチ)もの高いところから振るというので尺塩ともいわれる。

主に魚の塩焼きに使われる伝統的な使い方で、魚にまんべんなく塩を振ることによって、魚の水分を引き出して身が引き締まり、生臭みが抜ける。焼いたときにすばやく表面が固まるので、うま味が逃げずに身崩れを防ぐ。焼き魚では、重さの2%から3%を目安に調理の30分から時間前に振り塩をする。肉であれば重さの1%を目安に、調理の直前に均等に振り塩するのが、美味しく仕上がるコツである。振り塩は、薄塩、甘塩、強塩と使い分け、白身魚や切身には薄塩、油分の多い青魚や身の厚いものには強塩にするとよい。

 

立て塩

魚貝類を洗うときに塩水を使うと、うま味が逃げないで余分な水分を吸わなくなる。「立て塩」といい、3%~4%の塩水で魚介類を洗って、軽く塩味を浸み込ませる。魚介類を立て塩することによって、均一にうっすらと塩味がつき歯触りも良くなる。塩味のアジやイワシなどの干物づくりでは立て塩にしてから天日干しをするとうま味が増す。野菜や果物を立て塩に浸けると、変色を防ぎ、見た目を美しくする色止め効果がある。

 

べた塩

魚全体に塩をまぶしつける方法から「あべかわ塩」ともよばれ、適度に魚の身をひきしめ、味をよくする、塩じめのひとつである。コハダなどの寿司ねたや白身の魚を酢でしめるときに、あらかじめ塩をして魚の身を締めておき、薄めた酢で塩を洗い流したあとに、もう一度、酢でしめると魚の臭さがとれて魚肉がしまり、歯触りがよい酢のものができる。

 

紙塩 

魚を水に濡らした和紙で包んで、その上から振り塩をすることを「紙塩」といい、濡れた和紙の水分で塩が溶け、食材に塩をしみ込ませるもので、魚に直接塩をあてないので、紙に浸みこんだ水分が均等にゆきわたり、上品でまろやかな塩焼に仕上がる。昔の塩は、にがりを多く含んだ差塩が多く、にがりの雑味を除くため、紙塩が用いられていたといわれている。

 

化粧塩

鯛やあじ、鮎など、姿のまま塩焼きにするとき、美しく焼き上げるために、魚を焼く前に塩を振り、強火で焼くと塩がきれいに白く浮きでてくる。これを「化粧塩」といい、塩をたっぷりつけて焼くので魚の皮が焦げにくく、皮がパリッと焼き上がり、味も香りも良くなる。とくに焦げやすい魚のヒレや尾に厚めに塩で覆うと、ヒレが崩れずにきれいな姿に焼き上がる。

 

鮎の踊り串

鮎の塩焼きは、まるで鮎が泳いでいるような姿に仕上げるために、頭の下から串を入れ、縫うようにして尾に刺して焼く「踊り串」にする。鮎の塩焼きは、焼きたての熱々をタデ酢で食べるのが鮎料理の定番である。

ちなみに、塩焼きを上手に食べる方法は、箸で皮と身を分け、頭を指で持って箸で身をはさんで引き分けると頭付きの骨が抜けやすい。化粧塩されたヒレを取り去り、頭と尾を両手で持って鮎の背肉からかぶりつくのも楽しい食べ方である。

 

呼び塩

塩漬けした食材の塩分を抜くときに、真水ではなく薄い塩水に浸すと、真水に浸すよりも早く塩が抜け、うま味成分が溶けないで上手に塩抜きができる。これは、塩の浸透圧を利用したもので、塩漬けの塩分が塩水に移るため、塩が塩を呼ぶことからこの名がついたといわれ、冷凍の鮪の切り身を解凍するのに、呼び塩にしてから冷蔵庫で自然解凍すると刺身の旨味と弾力が損なわれないで美味しく食べる秘訣である。

 

魚の塩じめ・酢じめ・昆布じめ

魚は塩や酢にあてて、昆布の間に挟んでおくと浸透圧で脱水し、生臭さがとれて身がしまり、美味しくなる。塩じめ、酢じめ、昆布じめといわれる調理法である。

鰯や鯵などは三枚におろして塩じめにしてから酢でしめると、魚のたんぱく質が固まり、弾力性がでてくる。酢じめは、塩じめした後に酢水で洗うもので、鰯や鯵などの身の柔らかな魚は、塩で軽くしめないと身が柔らかくなってしまう。またサバのように皮に寄生虫がついている青魚は、酢でしめて殺菌する。

江戸前寿司の魚のネタには、コハダは、酢じめで泥臭さを消し、キスや平目などの淡白な白身魚は、軽く塩をしてから昆布に挟み、昆布のうま味が移った寿司ネタが使われる。塩じめ・酢じめは、本来、生魚の腐敗を防ぐ知恵でもあった。

かつて朝廷に献納された海の幸は、日本海の若狭湾で獲れた魚を塩じめにして都に運ばれていたが、京の都に着く頃には、食べごろになり、そこから昆布と酢でしめた鯖寿司の「バッテラ」が誕生した。鯖の塩漬けを京都に運んだ道は、いまも鯖街道とよばれている。京料理の「若狭ぐじ」は、その上品な風味が珍重され、その赤みがかった姿かたちも美しく、八月の旬には、昆布じめ、西京漬け、蒸しものといろんな料理になって登場。若狭焼きの香ばしい焼魚の匂いと上品な美味しさは、京の都の人々が待ち焦がれた旬の味覚である。

 

コラム 鯛の浜蒸し

鯛が一番美味いときは、四月から五月ごろ、産卵期の色鮮やかになる季節である。

桜が咲く季節になると、深い海から浅瀬に鯛の群れがやってくる。鯛は、色も姿も美しい魚で、その淡白な味が好まれ、昔から日本料理の主役に登場する魚である。

新鮮な鯛は、うろこ以外すべて食べられるといわれ、刺身、白焼、昆布じめ、頭の潮汁、肝の塩茹、さらに腸の塩辛にと、多様な魚料理を楽しむことができる。

焼き魚をほぐした鯛の身は鯛飯、ちらし寿司など、さまざまな加工食品の食材としても広く使われている。

昔から、この季節になると瀬戸内の明石では「明石鯛」、鳴門では「鳴門鯛」の浜蒸しが地元の風物詩となっている。いずれの土地もかつて塩田が盛んなところで、釜からできあがった熱い塩をすくい取り、その上に鯛を並べ、熱い塩をのせて蒸し焼きにしたもので、浜蒸し、塩蒸しとよばれている郷土の特産品である。

浜蒸しは、鯛の淡白な味にほどよい塩味が浸みこんで、上品な風味がある料理である。その始まりは、赤穂の中村の漁師が秀吉の朝鮮出兵の兵役を逃れるために、一計を案じて、自分が獲った魚の浜蒸しと釜焚きの塩を携帯食として秀吉の宿舎へ持参したところ、これが部将たちに大変喜ばれ、徴発を免じられたうえに、西下軍の携帯食になり、分限者になったという逸話がある。

それ以来、瀬戸内各地の塩田でも鯛の浜蒸しがつくられるようになって、瀬戸内の名物となった。明治の専売制度が施行されると、浜人が専売局の買い上げ前に浜蒸しに塩を使用することが厳しく禁じられた。日清戦争で大本営が広島に移ったときに、味野の塩業家、野崎家より鯛の浜蒸しが献上され、明治天皇は大変喜ばれて賞味されたと言い伝えられている。

 

Ⅲ.使い勝手の良い塩 

 

1.家庭で揃える塩

家庭で使う塩は、塩粒の大きさ、結晶形、湿り気など、塩の物性が料理に大きく影響し、使い勝手の良い悪いが決まる。塩粒が適度に細かい塩は、どんな料理にも幅広くつかえる汎用性のある塩である。

家庭で料理や食卓塩につかう塩を選ぶ際、「細かめの塩」「サラサラした塩」「粗めの塩」の三種類の塩粒の異なる塩を揃えると、料理・調理にあわせて使い分けすることができて、便利で料理の幅が広がってくる。

細かめの塩には、しっとりとした塩とサラサラした塩の二通りある。細かいパウダー状の塩は溶けやすく、粥や雑炊など汁気のあるものの味付けに適し、しっとりと湿り気のある塩は、付着性が求められる、塩もみ、一夜漬け、立て塩(塩水の塩浸け)、などの調理に適している。サラサラした塩は、振り塩としてもっとも汎用性が高く、サラダ、煮物、魚料理、食卓塩などに幅広く使うことができる、万能型の塩である。

粗めの塩は、塩分の溶けるのが遅く、徐々に食材に浸透していくので、煮物や漬物に加えると、柔らかく味の浸みて美味しく仕上がる。ステーキを焼く直前に、塩・コショウすると、肉の旨みを閉じ込め、粒々の食感を楽しむことができる。

塩の商品ラベルには表示されていないが、塩の結晶形によっても、塩の使い勝手が違っているケースもある。塩を結晶化する釜が、真空蒸発釜で大量生産された塩の結晶は、通常、正六面体のサイコロ状の結晶体であるが、液表で蒸発された平釜の塩の結晶は、不定形で、付着しやすい軽い塩に仕上がる。溶けやすいので、酢の物、ドレッシング、ごま塩などの混ぜ塩に適し、天ぷら、白身の刺身などの付け塩につかうと一味違った味を楽しむことができる。

その反面、高温で結晶したサイコロ状の塩は、硬くて溶けにくいので、漬物に使う場合、付着性が弱く、下に落ちてしまうデメリットがある。昔から塩漬け魚には、無定形で樹枝状の平釜焚きの塩が使われている。

欧米の塩商品には、日本と比べて料理につかう塩の用途が明記されているものが多い。フライドポテトや焼き上げた肉などに振りかける塩は、マルドンソルトやフルールド・セルのような結晶形の大きい塩を使うと味の違いを強調できる。パスタを茹でるときやスープの味付けなどには大粒の粗塩を使う、サラダや茹で野菜などには、溶けやすい結晶のフレーク塩など、塩の形状によって、料理の美味しさが異なるという。

(*バート・ウォルク『料理の科学 1』楽工社)

次に塩を選ぶ際、味の良し悪しの好みがある。ピリッとした塩角の強い、純度の高い食塩か、甘味のあるまろやかな塩か、実際に舐めた塩の味覚の違いで選ぶひとも多い。ある新聞社が、塩の自由化後に、家庭で実際に使われている塩の動向を調査した結果、従来の食塩とにがり添加塩の比率が6対4と、自然塩とよばれていた塩が急伸し、食塩(旧専売塩のイオン膜塩)のシェアが減少したのが報告されていた。

沖縄のある島では、見学客に、コップに溶かした食塩と自社の海水塩を見比べ、食塩が白く濁るのを示して自社の塩をPRしている場面を思い出す。こうした体験やマスコミ情報が功を奏した結果が、この数字に反映しているのだろう。

□塩の分類と種類

塩資源による分類-岩塩・海塩・湖塩・岩塩泉・井塩・土塩

製塩法による分類-イオン膜+立釜・天日+平釜、溶解再結晶・焼塩・粉砕・採掘

結晶形による分類-正立方体・無定形・フレーク塩・樹枝状・顆粒

粒の大きさの分類-微粒塩・中粒塩・大粒塩

純度による分類-高純度塩(食塩)99%以上・中純度塩95%平均・低純度塩90%以下

法律による分類-イオン交換膜製塩塩(センター塩)・特殊製法塩(平釜塩)

価格による分類-安い順にイオン塩・ニガリ再製塩・自然海塩

 

2.食品加工の塩の選択

わが国の食品加工用の塩のほとんどは、イオン交換膜と真空式蒸発釜で量産された食塩と、輸入天日塩を溶解し、同じ釜で結晶化した精製塩が使われている。

にがりの含まれた家庭用塩と異なって、純度の高く効率的で経済性を兼ねた塩が重視され、安全性が保障された清潔な塩が求められる。

精製塩は、生産地で泥、鉄さびなどの汚れを濃縮塩水で洗い落とした天日塩を溶解・再結晶したもので、蒸発釜の熱効率をよくするために、事前にアルカリやソーダ灰を入れ、スケール(湯あか)の原因となるマグネシウムや炭酸カルシウム、石膏などの不純物を取り除いてから煮詰めた塩で、限りなく100%に近い高純度の塩となる。

食品加工に適した塩の選択に際して、塩の結晶形、粒径と均一性、乾燥度をもとに、サラサラした流動性、素材に付きやすい付着性、水に速く溶ける溶解性、見かけの塩密度の嵩比重、食材によく混ざる混合性等が加工食品の重要な指標となる。

製塩会社と顧客は、いくつかの要素を組み合わして、それぞれの加工食品にもっとも適切な塩を塩を選択する。

食品加工業界では、量産に対応して食品加工の自動化が導入され、それにともない食品加工に使われる塩も、機械に適合した性格の塩が求められている。

大手食品業界では、塩を計量し、均一な味になるように自動機械化されているので、水分を含んだ湿った塩は不適合で、サラサラした乾燥塩が求められ、塩の結晶の粒を一定の幅に揃えることが重要な条件となる。塩の効率は重量で決まるので、均一の味を維持するのにも粒の大きさを調えるが不可欠となるからである。

消費社会を迎えた70年代、インスタント食品、レトルト食品、カレールーと続々と加工食品が市場に登場した。当時の塩には、塩の粒を揃えるという発想がなく、大手の食品会社では、塩を計量して空気で塩を送るのに、塩の細かいパウダーが舞って正確な塩の量が測れないという問題を抱えていた。そのためにアメリカから均一な塩粒i選り分ける篩(ふるい)の技術を導入。塩の機械の適性を解決したばかりではなく、食品の用途に合った特徴のある多彩な塩の商品開発が可能になったのである。

 □食品加工用の塩の種類

食塩 イオン交換膜方式+真空蒸発缶でつくられる純度99%以上の乾燥塩。

平均粒径0.4mmにがり分2%含む。主な用途は食酢、ソースなどの調味料、加工

食品などに幅広く使われ、家庭用小袋は、塩事業センターから販売。

特級精製塩-輸入天日塩を溶解再結晶した塩化ナトリウム純度99.8%以上の塩。

高純度な乾燥塩で、主な用途は、スープの素、カレールー、パン、麺類、レトルト食

品、魚の練り製品、ソース類。

精製塩-塩化ナトリウム純度99.5%以上で、用途は特級精製塩と同じ。両方とも、

溶解・固結防止のため、塩基性炭酸マグネシウム基準0.3%を添加。

微粒塩-純度99.7% 溶解性、分散性が優れ、お茶漬け、胡麻塩、マヨネーズ

バター、チーズどの乳製品、練り製品、肉加工に使用。

並塩-イオン交換膜法で製塩、純度95%以上、水分約1.4% 、平均粒径0.4mm

で、業務用の味噌、麺類、たらこなどの魚卵加工などの一次加工に使用。

白塩-並塩の大粒タイプで、純度93%以上。主な用途は漬物、醤油業界で使用。

粉砕塩・原塩-海外輸入塩を粉砕・洗浄した塩で、純度95%以上。味噌醤油、漬物に使用。にがり添加再製塩の原料としても使用。

 

3.軽い塩・フレーク塩

真空式蒸気缶で工業的に大量生産される塩の結晶形の基本は、正立方体であるが、製塩技術の向上によって、結晶形を自在に変えることができるようになった。

真空式蒸発缶の中で結晶が育つ過程で濃縮海水の流し方を変えると、結晶の角が取れて凸レンズ型の塩や球状の塩になり、媒晶剤のミネラルやアミノ酸などを入れることによって、いろんな結晶形に変化した塩がつくられる。

真空式蒸発釜のなかで結晶のかたちを変えることによって、塩の性格が異なってくるので、食品加工に最も適した塩をつくることができる。この技術を使った塩にフレーク塩がある。結晶が不定形で、嵩密度が小さく、同じ容量で重さが約半分という軽い塩である。天日塩田のフルール・ド・セルのように“ふんわりした柔らかな塩”で、塩味の幅が広く、料理の微妙な塩加減ができる。

混合性、溶解性、付着性に優れており、インスタント食品、カレールー、だしの素、うどん、ハム・ソーセージなど食品加工に幅広く使われている。

塩味の幅が広く、料理の微妙な塩加減ができる塩で、和食の汁物、煮物など、微妙な塩加減を調整できる、使い勝手の良い塩である。

フレーク塩は、19世紀の米国ミシガンが発祥地とされ、森林に恵まれたミシガンは木材産業で栄えたところで、製材工場の兼価な廃材を利用して塩水を平釜に入れて、

蒸気で加熱した塩である。液表面で塩の結晶ができる、この軽い塩は、「アルバーガー・ソルト」とよばれ、1887年にはアメリカ塩市場の49%を占め、缶詰、食肉加工、バター、チーズなど食品加工に広く使われている。

わが国の家庭の食卓で使われている代表的なフレーク塩の用途は、胡麻塩で、軽

く嵩密度が小さいので、塩と胡麻が一緒に振りかけることができる利点がある。

また酢の物やドレッシングを作るときは、結晶が固く溶けにくい食塩を使うよりも、フレーク塩のように溶けやすい塩を使う方が望ましく、使い勝手の良い塩である。

 

□塩の重さの比較(1cm平方)

食塩、精製塩 1.3~1.4g

焼き塩     0.9~1.1g

ニガリ添加塩 0.8~1.0g

フレーク塩   0.6~0.8g

 

 

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2.あじを彩る塩

1.味覚のシグナル

2麻・辛の世界

3.日本発「UMAMI」

4.うま味はアミノ酸+塩

1.味覚のシグナル

食べることは人の生命を維持するうえで極めて需要なことで、味覚のシグナルに応答する神経細胞が欠乏している栄養素を補うために、身体が必要とする栄養素を調節しつつ生体の恒常性≪ホメオスタシス≫を維持している。

食事は、視覚、嗅覚、触覚、聴覚などの五感や、空腹、気温、食事の際の雰囲気など、さまざまな感覚が統合されて、食欲を感じる。美味しい料理は、自律神経を興奮させ、ノルアドレナリンを分泌、エネルギーの代謝を亢進させる。

美味しいと感じる味覚は、身体を維持するのに必要なたんぱく質やカロリーとなる脂肪のシグナルだといわれ、身体がエネルギー源を求めているからである。

美味しいものを食べたあとには、体温が上昇することが認められており、食欲は、生存のための生理的な現象である。

舌で感じる味は、甘味・塩味・酸味、苦味・旨味の五つの基本味で、甘味はエネルギー源である糖のシグナル、塩味は電解質であるミネラルのシグナルで、電気信号の伝達する役割を担っている重要な栄養素である。塩化ナトリウム≪塩≫はナトリウムイオンと塩素イオンとの両方に分れて、はじめて塩味を知覚できる。

酸味は腐敗物のシグナル、熟していない果物を見分け、苦味は毒性ある有害な食物を予知するするシグナルである。さらに食べ物が消化しているときにも、味覚は、消化器官に分布している迷走神経から脳に伝達される。

味覚のシグナルは、舌の表面にある乳頭という細かな突起にある味蕾で味を感知し、電気信号に変換、神経を通して脳に伝達されて、どんな味かを認識する。

味蕾は一万個あるといわれ、いろんな味を均一に知覚するのではなく、場所によって違っている。塩味、酸味は、おもに舌の周辺近くで感じ、味細胞の細胞膜に直接作用し、イオンチャネルを通して知覚される。甘味は舌先、酸味は舌の周辺、苦味と旨味は、舌の根で感受する。辛味は痛みなどの感覚を伝える三叉神経に存在し、美味しい料理に辛味が結び付くと、脳で美味しさを感じる。

人には味覚、嗅覚、視覚,触覚などの五感を働かせ、身体に害をおよぼす嫌な臭いを嗅ぎ分け、腐ったものや異常な味を見分けることによって、身体に有害な食物を一刻も早く察知し、味覚に過敏に反応する自己防衛の仕組みが備わっている。

味覚する濃度の高い順は、甘味、塩味、酸味、苦味の順で感じる。甘味やうま味に反応する味覚の受容体は一種類で、苦味を感じる受容体は、20種類以上あり、これによって、酸味や苦味はごくわずかな濃度でも敏感に味覚される。

甘味は0.5%、塩味では0.2%、旨味(グルタミン酸ナトリウム)0.03%で味覚されるが、酸味0.0012%、苦味(キニーネ)で0.00005%と、ごく僅かでも植物の中には強い苦味を持つ猛毒を含んでいる植物もあり、野生動物にとって、毒のあるものや腐敗したものを見分ける味覚センサーが狂うと死につながる。

但し、人は大人になるとコーヒーやサンマや鮎の腸などの苦味を美味しいと感じる嗜好があり、苦味の感受性は、単に毒を見分けるだけでなく、コクのあるうま味を味わうのに大切な役割を担っている。

2.麻(マー)・辛(ラー)の味

辛味の代表的な調味料は唐辛子である。その主成分は油に溶けているカプサイシンで、交感神経を刺激して発汗させる作用があり、寒冷地や高温高湿に住む人たちの料理の食材として使われ、独自の料理文化が育まれている。

東洋医学では、「辛味は気を高ぶらせ、血の巡りを良くする」といわれ、外敵から身を守るために緊張をうながすホルモンを活発にし、脂肪を燃焼・分解して身体を温める効能を持っているといわれる。

中国の四川盆地は、冬は霧が多く温暖であるが、夏は盆地特有の高温多湿の酷

暑となる。わが国にも馴染み深い麻婆豆腐や坦坦麺もここ四川生まれで、四川料理の特徴である、あのピリッとした舌しびれる辛さは、盆地固有の気候風土から生まれたもので、食欲を刺激し、汗で消耗する塩分を補充する働きがある。

四川の坦坦麺には汁がなく、挽肉と唐辛子の紅油に麺をからめて食べる。はじめの口当たりは甘く、次第に辛さが口いっぱいに広がる、「麻・辛」の世界である。

四川料理では、調味料の主役は塩で、しっかりした塩味を主張している。塩炒め、味噌漬、塩漬魚、牛肉の煮込み、塩の水煮など、じつに多彩な塩の料理がある。

四川料理は、単に辛いだけではなく酸味、甘味、苦味に辛味と塩味の五つの味がハーモニーを奏でた多彩な料理を味わうことができる。元代以来、中央の役人が料理人をつれて赴任したことで、独自の味に洗練されてきたといわれる。

四川の家庭料理に欠かせないのが漬物の泡菜である。季節の野菜を塩水と酒、砂糖、干した唐辛子などで漬けた漬物で、一夜漬、古漬けと多彩な漬物があり、そのまま食べるほかに挽肉の炒め物に使う。料理に使う塩は、地元の≪井塩(セイエン)≫である。井塩は、井戸を掘り、地下の岩塩層に水を流し込んで濃い塩水を汲み上げ、それを釜で焚く。自流井ともよばれ、漬物に馴染むしっとりとした塩である。

現地の人が、泡菜づくりに井塩しか使わないわけは、海塩には、にがりのマグネシュウムが強く、その風味が嫌われているようである。

“天府の国の百菜百味”と称される四川の食文化は、高温多湿の気候風土と豊富な食材と地元の塩が三位一体となって醸成された文化遺産である。

 

3.日本発「UMAMI」

古代中国では、鹹(塩味)、甘、酸、苦、辛の五つ味が基本味とされ、仏教では塩味、甘味、酸味、苦味,渋味、辛味の六つの味覚をあげている。西洋では古代ギリシャのアリストテレスが、塩味、甘味、酸味、厳しい味、鋭い味、荒れた味の七つの味に分類して以来、いろんな説が提唱されてきた。

1916年、ドイツ人ヘニングが絵の具の三原色のように、食物の味覚は、塩味、甘味・酸味、苦味の四原味が混ざりあって、甘辛い味、甘酸っぱい味など、いろんな味が作られるという考えを提唱。以来、料理界の定説となっていた。

1908年(明治41年)、東京帝国大学の池田菊苗教授が、湯豆腐の鍋に敷かれた昆布をヒントに、昆布に含まれるアミノ酸、≪グルタミン酸≫がうま味成分であることをつきとめ、四つの基本味ではつくれない五番目の基本味、「うま味」の存在を発見した。1913年には、池田菊苗教授の高弟、小玉新太郎が鰹節のだしのうま味が核酸系のイノシン酸であることを発見、さらに、1957年にヤマサ醤油の國中明が椎茸から核酸系のうま味成分、グアニル酸を発見、次々にうま味成分がつきとめられた。

近年になって、味覚の研究が進むにしたがい、四つの基本味説では味覚を論じることができないという認識が高まり、池田が命名したうま味は、1985年にハワイで開催された「第一回国際シンポジウム」で五番目の基本味「UMAMIとして認められ、世界の共通語となった。その後、グルタミン酸とナトリウムを結合して、グルタミン酸ナトリウムを主成分にした調味料、「味の素」が開発されたのである。

このように20世紀になってタンパク質や核酸を豊富に含む細胞の原形質にうま味が含まれ、それを感知する味覚がうま味であることを、日本人の三人の化学者によって発見された背景には、昆布や鰹節などの海産物の乾物をつかった伝統的な「だし」の和食文化の土壌にあったからである。欧米では、もともと肉や乳製品など、うま味のある食材が中心であったので、調理にうま味成分を加える必要がなかったが、日本人は古くから淡白な味の米を主食にして、味噌・醤油などのうま味のある調味料がつかわれてきたことがうま味に敏感な味覚が身についた。

2000年、舌にある味蕾の感覚細胞にグルタミンを感じ取る「グルタミン酸受容体」が発見された。味噌・醤油のうま味の正体が、グルタミン酸であることが解明され、いまや、世界中のシェフがうま味に注目、和食は国際的な味覚になっている。

 

4.うま味を創るアミノ酸+塩

うま味の味覚は、生命の維持に欠かせないたんぱく質のシグナルである。たんぱく質は、20種類のアミノ酸が結合してできており、筋肉や臓器をつくり、酵素の成分として生命活動を維持する重要な役割を果たしている。

食物に含まれるたんぱく質は、消化酵素によってアミノ酸になって吸収され、血液にのって全身に運ばれ、細胞内で酵素やエネルギーをつくる。

アミノ酸にはそれぞれ複雑な味を併せ持っている。それらの割合や量、組み合わせの変化で、料理の美味さが決まる。グリシンやアラニンなどは甘味、バリン、ロイシンなどは苦味、そしてグルタミン酸やアスパラギン酸には酸味、また甘味を持つプロリンには苦味もある。

しかし、鰹節や昆布だしだけでは、味がわからない。アミノ酸だけを混ぜても弱い味しかないが、アミノ酸にミネラル≪塩≫が加わることで、はじめてアミノ酸独自の味の輪郭がはっきりとし、うま味を感知することができるのである。

相手の味を強調する塩の対比効果がうま味の決定に大きな役割を果たしている。

和食では、昆布でだしをとった後、さらに鰹節でだしをとる。アミノ酸系のグルタミン酸と核酸系のイノシン酸やグアニル酸とを合わせると、単独の時よりもはるかに強いうま味が得られる。うま味成分には相乗効果があるのが特徴である。

世界中の料理が動植物のうま味の抽出物を組み合わせ、基本味として利用している。欧米のスープには牛のすね肉、セロリ、玉ねぎが、中国料理には、鶏がら、生姜、ネギがつかわれる。トマトは野菜の中では、グルタミン酸やアスパラギン酸が豊富で、トマトがソースのベースとして使われ、トマトを原料にしたケチャップが調味料として使われている。グルタミン酸の多いトマトや核酸に富むアンチョビソースやキノコのスープなども、共通したうま味の相乗効果を利用したものである。

2015年4月から厚労省は、科学的に効能が立証された食品を「機能表示商品」と表示できることを認めた。現在、アミノ酸は、発酵法によって大量生産されるようになり、アミノ酸効果を狙ったサプリメントが続々と市場に登場している。

 

 

 

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第三章 食の塩

 Ⅱ.カビが創る和食文化

1.発酵と「醤(ひしお)」の発見

自然界から食べ物を狩猟・採取していた古代人は、季節的に収穫が限られる植物や大漁で残った魚や動物の肉をいかに腐敗しないで保存するかが、最大の悩みの種であった。腐敗との戦いのなかから、干して乾燥する、塩に漬けて保存するなど、食物保存の生活の知恵がうまれた。

塩漬けした魚肉は、時間が経つと液状になる。その腐敗した食物を食べても腹が痛くならない、それまで味わったことのない新鮮な味覚の体験が、発酵との偶然の出会いである。大昔から人は発酵を上手に使って、米や麦、豆から味噌醤油を、乳からヨーグルトやチーズ、果実から酒を造り、新しい味覚の世界を広げ、生活豊かにしてきた。発酵食品は、先人の知恵が詰まった食文化の遺産である。

腐敗と発酵について、19世紀にフランスのルイ・パスツールにより、酒、ワインなどの発酵は微生物の酵母菌の働きであることが発見された。発酵とは、微生物の持つ酵素の働きで、食物がもともと持っていた成分が分解・合成されて、新たな別の成分に変化することである。

発酵には、適度な温度と湿気によって増殖する酵母・カビ・細菌の三つの微生物が関与し、魚や大豆のタンパク質をうま味に、麦や米のデンプンを甘みに変える働きがある。 たくさんの乳酸菌などの微生物や酵母の働きによって、消化・吸収を助けアミノ酸やビタミンB群などの栄養価をうみだし、保存性、味わいなど、人に有用なものに変える。また、猛毒のフグの卵巣の糠漬けのように、発酵により食物に含まれる毒が無害になる場合もある。

紀元前11世紀、古代中国の周の時代に、うさぎ、鳥、魚を壺に入れて塩漬けし、それに麹を加えて発酵させた「醤(ジャン)」がつくられた。

魚肉に塩と麹を加えて漬けると、自然に発酵して塩辛ができる。古代中国では「鮨(き)」ともよばれ、日本では寿司を表すが、もともとは魚肉の塩辛である。

朝廷の料理には百種におよぶ醤が使われていたといわれ、孔子の論語に「その醤を得ざれば食らわず」と記されている。漢代には醤の材料が魚・肉から麦や粟、豆などの穀物に広がっていき、中国料理に欠かせない貴重な調味料となった。

魚醤の発祥地は、東南アジアのメコン河流域とされ、雨季に大量にとられた小魚やエビなどを樽に詰め、塩をまぶして発酵させたもので、アミノ酸発酵でうま味を引き出した調味料である。タイのナンプラー、ベトナムのニョクマム、インドネシアのサンバルなどの魚醤がある。アジアの稲作文化圏では、ご飯をたくさん食べる知恵として魚醤の調味料が重要な役割を果たしている。

わが国には、二千年前の弥生時代に稲作と一緒に魚醤が伝播されたといわれ、飛鳥時代には、米、麦、豆などの穀物を原料に、麹と塩で発酵した「穀醤」や、茄子、青菜、蕪、大根などの野菜を塩漬けした「草醤」が登場、これが醤油味噌、漬物などのルーツとなる発酵食品「醤(ひしお)」である。穀物を原料にした「穀醤」は、味噌に、その上澄み液が醤油となった。野菜を塩漬けした「草醤」が今日の漬物の原点である。

 

2.発酵を抑制する塩の力

塩には、雑菌による腐敗を防ぎ、有用な酵母と乳酸菌のゆるやかな活動を支えて、発酵の環境をつくる働きがある。塩漬けの食品が腐敗しないで長期間保存できるのは、塩の浸透圧によって細菌の細胞内の水分が脱水され、増殖に必要な水分が不足するために細菌が繁殖できなくなるからである。“ナメクジに塩”の原理である。

塩分12%以上の塩水に食物を浸けると、微生物の細胞の原形質が分離を起こして、雑菌の繁殖が抑えられ、食物の長期保存が可能になる。腐敗菌は、10%程度の塩分濃度で発育が阻止されるが、酵母の中には、20%、カビでは25%くらいの塩分濃度でも繁殖する、好塩性の微生物がいる。濃い塩分のなかでも繁殖できるのは、微生物の細胞内にカリウムを内包し、細胞外の塩分濃度と同じ浸透圧を保っているからである。

乳酸菌発酵は、魚のたんぱく質の自己分解を促し、熟成によって、生の魚では味わえない独特の香りと新たな魚のうま味をつくりだす。魚の内臓の塩辛をつかった干物にクサヤがある。ムロアジの開きを塩水に漬けて生干したあと、発酵した内臓に漬け、もう一度天日に干し、特異な臭いをもった干物に仕上げたもので、魚の内臓の酵素を利用した干物である。

塩の微生物の増殖を抑制し、発酵を調整する力は、腸内環境を整える働きにもいきている。塩分は体内に入ると、ナトリウムイオンと塩素イオンに分かれ、酸性の胃では塩素イオンが消化活動を行い、次の弱アルカリ性の腸では、ナトリウムイオンが腸を一定のアルカリ濃度に保つ働きをしている。ナトリウム(塩)が、アンモニアなどの腸内の腐敗菌の増殖を抑え、腸内細菌のバランスを整える働きをしている。

乳酸菌やビフフィス菌などの善玉の腸内細菌は、酵素やビタミンをつくりだし、リンパ球の70%が腸内にあり、体内に侵入してきた細菌や毒素を排除する働きがある。

最近では、漬物や味噌などの発酵食品には、腸を整える乳酸菌や食物繊維が多く含まれ、免疫細胞を活性化して免疫力を高めることが知られている。

腸内細菌は、一千種類以上あり、一千兆個ともいわれる無数の微生物がひとつの惑星のように腸内の生態系を形成している。腸内で草むらのように微生物が「叢」をなして生息していることから、‟お花畑”、腸内フローラと呼んでいる。

人は微生物と共生し、微生物の発酵を抑制する塩の力によって生態系のバランスが維持されているのである。

 

3.麹が創る和食の世界

日本は高温多湿の気候で、カビが繁殖しやすい環境にある。カビを生かしてさまざまな発酵食品を創る、日本は世界でも類を見ない発酵の食文化の国である。

日本の平均年間降雨量が約1800ミリもあるのに対し、ヨーロッパの年間降雨量は800ミリ前後で湿度が低い。『食物と日本人』の著者、樋口清之は、「パリの湿度が平均六七パーセントに対して東京の湿度は三十三パーセントと倍も違う、東京は腐りの街でパリは腐らない街である」とわが国の食文化を「腐りの食文化」だと評した。

和食の世界を彩るのは、基本調味料の味噌・醤油、漬物、寿司、日本酒など、米麹でつくられる発酵食品である。

米麹は、塩に蒸米を加え、その上から椿の木灰を振りかけて、7月から8月に仕込んで発酵を待つ。すると花のように一面に麹の胞子が発芽する。

麹ができる様子は、昔話の枯れ木に灰を蒔いて桜の花を咲かせた、「花咲爺さん」を連想させる。昔から麹は、「種麴屋」を通して、全国の味噌・醤油や日本酒の醸造所や塩蔵食品をつくる店に売られ、その地の気候風土や水にあった伝統的な発酵食品が育っていった。

日本に味噌が伝えられたのは飛鳥時代で、大宝律令(701)の大膳職に「未醤」という大豆の発酵食品があり、それが味噌になったといわれる。醤油は味噌から染み出た汁が調味料の始まりで、味噌の副産物である。

鎌倉後期(1254)に禅僧、覚心が宋から径山味噌の製法が伝えられた。味噌の製法を教える際に、味噌樽の底にたまった汁が美味いことが偶然にわかり、「溜まり醤油」が作られるようになったという。

麹菌を使った発酵食品に「金山寺味噌」がある。味噌の中にナス、瓜、生姜、紫蘇の実など、野菜を刻んで入れ込んだ味噌である。大豆に麹菌と塩を混ぜ、発酵・熟成させてつくる。微生物の力を借りて、うま味と香りを引き出す。

醤油は、室町時代に普及し、茶道とともに発達した懐石料理と結びついて、日本料理の味覚をつくる基本調味料となり、料理文化が飛躍的に成長を遂げた。 

鎌倉時代には、「なめ味噌」がご飯のおかずのひとつとして、武士たちの体力をつくる栄養源であった。戦国時代には味噌は重要な兵糧のひとつであった。

ちなみに、天下統一を目指した織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康の三人は共に、大豆味噌の文化圏の出身である。

わが国の湿潤な気候風土に育った米麹は、多種多様な発酵食品を生み出した源となり、独自な和食文化を醸成し、日本人の健康を支えてきたのである。

 

4.味噌汁の見直し

和食の食卓には、ご飯に味噌汁は欠かせない存在である。江戸時代の諺に「朝の味噌汁は毒消し」とか、「医者に金を払うより味噌屋に払え」といわれたように、朝一番の味噌汁の生活習慣が、健康の維持に効果があることを体験的に知っている。

現代の食生活は、70年代ころから、インスタント食品、冷凍食品、レトルト食品などの加工食品が店頭に溢れ、電子レンジで温めればすぐに調理される、手間をかけないで食事ができる、ファーストフードの潮流が食のスタイルを大きく変えている。

最近の一般家庭の朝食に、パン食が半数を占め、ご飯と味噌汁の和食を超える勢いだといわれている。それにともない、米、味噌、塩の消費量がともに右肩下がりに減っている。なかでも味噌汁は、塩分が多いからと減塩運動の格好のターゲットにされ、減温思想の象徴的な対象になっている。

ひと椀の塩分は、約2グラムだとすると、厚労省の塩分摂取量の基準である大人ひとり当たり一日8グラムの四分の一を摂取したことになり、食事から味噌汁と漬物を省く減塩志向が味噌汁の排除につながっている。

味噌に含まれる原料の塩は約17パーセント。味噌汁として飲むときには、塩分が約0.9パーセントに薄められる。それは、人が美味しいと感じる塩分濃度である。

いろんな具が入っているのに味噌汁である。汁だけをとらえて塩分量を測定した数値だけが独り歩きし、味噌汁全体の栄養価を計る視点に欠けている。

味噌に含まれるたんぱく質は、豆味噌で牛肉とほぼ同じ18%前後である。日本人に不足がちのビタミンやミネラルが豊富に含まれている。

ある研究機関の免疫学の調査結果では、一杯の味噌汁には、カルシウムと鉄分が一日必要量の約25パーセント占めているというデータがある。ビタミンAを含んだ野菜の具の多い地域では、胃潰瘍やがんの死亡率が低いなど、栄養学的な味噌汁の効能が立証されている。免疫学の調査でも、味噌汁を毎朝飲んでいる人では、がん、高血圧、心臓疾患、肝硬変などの疾患による死亡率低いことが報告されている。

和食の危機が問われている現在、味噌汁の再評価こそ、先人の知恵を継承した和食文化を守る重要なカギになるであろう。

 

5.コラム 江戸の食事

江戸は、100万人を超える大消費都市である。武士と町人が同じ人口比率で、江戸に参勤交代でくる武士や職人の独身男性が多かった。そのため蕎麦、天ぷら、飯屋などの屋台や居酒屋など、外食の飲食店で賑わった。庶民の間では、田楽、団子、寿司など、何でも一品が四文で気楽に食べられる「四文屋」と呼ばれる屋台が繁盛。江戸は、ファーストフードの食文化の街であった。

江戸元禄(1688-1703)頃から、大名に召抱えられていた料理人が八百膳などの高級料亭に雇われるようになり、江戸の湾内で獲れる魚介類を調理した江戸前料理が流行、船宿や料亭が繁盛。大名や裕福な町人の間では利休の一汁三菜のわび・さび仕立の茶会料理が盛んに開かれるようになり、夜になれば、居酒屋、料亭、茶屋が賑わい、食事を楽しむ外食文化の花が咲いた。

江戸前を代表する食べ物に握り寿司がある。文政年間(1818-29)、両国の華屋与兵衛が考案したという江戸湾で獲れる海老、穴子、貝、コハダなどを使った即席の「握り寿司」は、せっかちな江戸っ子におおいに受けた。今日の握り寿司に比べて、ズッシリとした手ごたえのある大きさで、酢は現在の半分の量、塩は三倍とかなり塩のきいた寿司であった。江戸前の刺身は、「煎り酒」につけて食べるのが江戸の定番で、大川で獲れる白身魚や貝類の刺身に相性がよく、味を引き立てた。

煎酒は日本酒に梅干しと昆布、鰹節、干し椎茸の出汁を加えコトコトと煮詰めた調味料である。醤油が普及していなかった江戸中期まで、江戸時代の食卓では欠かせない調味料であった。江戸時代の中頃になると、関東の野田、銚子で、地元の行徳塩と関東平野の大豆や小麦を原料にした「濃口醤油」が普及、甘辛の江戸の味が料理のベースになった。

江戸の朝は、納豆、豆腐、蜆売りの威勢のよいかけ声で始まる。江戸庶民の一般家庭では、朝昼晩の三食の食習慣が定着し、食卓には、ご飯に味噌汁を中心に、イワシやアジなどの干物や焼魚、小魚やエビの佃煮、納豆、豆腐、野菜の糠漬けなど、多彩なおかずが食卓に登場する、現代の一汁三菜の和食のかたちである。

江戸の後期には、料理人の口伝であった料理法が書かれた『豆腐百珍』などの料理本が流行。塩売りから、あら塩を買うと、竹籠に吊るしてにがりをとり、自家製の豆腐をつくる、素焼きの平たい焙烙で、胡麻塩、紫蘇塩などの振り塩をつくるなど、江戸庶民のあいだに料理をつくり、食べる楽しみがうまれた。

春には花見のお弁当、初夏には初物の鰹、土用の丑の鰻、江戸の夏の風物詩に甘酒がある。酒粕ではなく、麹からできた甘酒は、ほのかな甘みがあり、夏バテに最適な「飲む点滴」であった。江戸の食事は、季節の旬を楽しんだ料理文化である。

1876年(明治9年)、日本に栄養学を紹介した外人医師のベルツが東京から日光まで旅をした記録、『ベルツの日記』のなかで当時の人力車夫が一日に50キロの道を走るのは当たり前という体力に驚嘆。彼らの食事が栄養学の知識からあまりにもかけ離れていたので、ドイツ流の栄養学に従って肉料理を与えたところ、人力車夫は、三日で激しい疲労に見舞われた。そこで普段の質素な食事に戻したところ、また元気になって走れるようになったという、ベルツの人力車夫の実験が紹介されている。

現代の栄養学からみても、豆腐、味噌や漬物などの大豆発酵食品から良質なたんぱく質を摂り、小魚や海藻などのカルシウム、マグネシウムなどの豊富なミネラルに富んだ、栄養バランスの良いヘルシィな食事である。

山椒も小粒でピリリと辛い、日本人の体力の源泉は和食の賜物だったのである。

 

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第三章 食の塩

Ⅰ.和食の源流

1.豊かな縄文食

約一万年前の縄文時代、氷河が溶けて温暖化が進み、暖流が流れるようになると、海面が三メートルも上昇、関西では瀬戸内海が誕生し、関東の霞ヶ浦も海が内陸まで入り込んだ現在の日本列島の形になった。

やがて温暖で湿気の多い気候になると、照葉樹や落葉樹の森がうまれ、木の実や新芽、野草などの山の幸に恵まれた環境が生まれてくると、イノシシや鹿を食べる小動物が生息、森の周りに人が住みつくようになる。これまで草原だった陸地が水位の上昇で、遠浅の海になり、魚や貝を獲って食料にする生活に変わった。

縄文人の暮らしは、縄文遺跡に遺された「貝塚」を調べる考古学の研究で知ることができる。日本全国の貝塚の動物や魚介類の骨の調査で、真鯛やフナをはじめ、二百種の魚、二百七十種の貝類、二十種類の動物、海藻等々、千五百種に及ぶ動植物を食べていたことが発見されている。森ではイノシシやシカなどの狩猟や四季折々に、クルミ、どんぐりなどの木の実などを採取し、海では旬の魚や貝の捕獲できる、食物に恵まれ生活環境であったことがうかがえる。

人の歯が草食に適した臼歯や小さな犬歯のかたちに進化したのは、日常の主な食物が草や木の実、穀物であったことを物語っている。日本人の祖先は、雑食民族だったのである。雑食の食文化では、おのずと微妙な味を見分ける感覚が発達する。

味覚の研究では、外国人と較べて日本人にはうま味の受容体が発達していることが解明されている。西洋の味覚は、甘い、塩辛い、酸っぱい、ピリッと辛い、四つの味であり、中国はそれに苦味が加わって五味になるが、日本人の味覚は、さらに渋味とうま味を加えた七味の味覚を持っているといわれ、味を見分ける能力は、日本人の舌の感受性を育て、繊細な味覚の遺伝子が深く刷り込まれている。

 

2.縄文土器の発明

明治10年(1877)、来日した米国の動物学者エドワード・モースが、横浜から東京に向かう汽車の中から大森貝塚を発見し、ここの調査で見つけた土器に縄の目の模様があることから、縄文土器の名がつけられた。

貝塚は、縄文人の‟ゴミ捨て場”といわれているが、何が捨てられたものかを調査すると、どんなものを食べていたか、どんな生活をしていたのかなど、縄文人の暮らしぶりを知ることができる貴重な遺跡である。

海浜の縄文遺跡の貝塚から、幾重にも重なった貝殻の層のなかに、土器の破片が大量に発掘される。縄文土器は、石器時代から縄文時代に移る歴史の象徴で、土器の発明は、食物の保存、煮炊きの調理道具として、料理文化の新たなステージの出発点となった。わが国の料理文化は、土器に始まったのである。

土器で煮る、茹でることで、硬い穀物や根菜が柔らかくなり、ドングリやトチの実を熱湯でアク抜き、魚介類のたんぱく質を固めるなどの調理を可能にした。

粘土でできた素焼きの器は、煮炊きのほかに、小さなものは食器となり、大きな土器は収穫した食料の保存する壺、水を運ぶ道具として使われた。

土器の発明は、調理の始まりと同時に、海水を煮詰めて塩をつくる製塩の始まりでもあった。海沿いの集落では、海水で貝を煮て、身を取り出して干し貝をつくり、貝を煮た残りの濃縮した塩水を、さらに煮詰め、塩の結晶を採取した。海浜近くの貝塚に膨大な量の貝殻の層ができているのは、土器製塩が行われていた遺跡である。

近年、霞が浦の浮島で縄文時代の製塩遺跡が発見され、この遺跡から、製塩土器が出土。『常陸国風土記』に「乗浜の里の東に浮島の村あり。四面絶海にして、山と野が交錯し、戸一十五烟、田は六十七町余なり。百姓は塩を火にて業と為す」と記され、塩づくりの専業集落があったことを物語っている。

初期の製塩土器は、口径が20センチから30センチで、底が尖っており、複数の土器を直接砂浜に突き刺して石の炉を焚いて海水を煮つめて塩の結晶を採取していたが、時代が進むにつれ、製塩土器は次第に薄くなって、口径10センチ前後の小型の薄い土器が使われるようになっていく。それは濃い海水を煮つめるのに熱効率を高めるように工夫されたものだと考えられる。

土器製塩は、縄文晩期(BC500年)には関東一円に広がり、東日本から瀬戸内海に波及、しだいに北九州、紀伊半島、東海地方に広がつていった。

製塩土器でつくられた干し貝や塩水に浸した魚の干物や塩漬け魚は、貴重なたんぱく源として、山村の農産物と物々交換に流通した。遠く離れた内陸部の縄文遺跡からも海浜と同じ製塩土器が発掘されていることから、土器に入れた塩が交易品として流通したことを物語っている。こうした塩製品の交易に使われた漁村と山村を結ぶ道を「塩の道」とよばれ、経済、文化交流の道として発展していった。

 

3.米の食文化

世界の国々の伝統的な食文化は、その国独自の気候や風土に生育した食物を収穫し、調理を工夫して美味しく食べる。料理は先人の知恵の伝承である。

世界の中心的な農作物は、米、小麦、トウモロコシなどのイネ科の植物が栽培の主

流である。これらの穀物は、ひと粒の種から何百、何千と増えて、実りの収穫できるため、安定した食料の供給が確保されるようになると、それまでの採取・狩猟生活から、定着した農耕生活に変わり、穀物は人々の生きる糧となった。

気候的な条件で地球上の作物の分布をみると、米の栽培には、稲の生育に欠かせない、豊富な水に恵まれた環境が必要となるため、おもに温暖多雨のモンスーン地帯の東アジアを中心に広がっている。

一方、麦の栽培は寒冷で乾燥したところでも収穫ができ、世界の四大文明の地、メソポタミアで発達した麦の食文化は、西アジアからヨーロッパに広範にわたり伝播され、農耕を営みながら牧畜を兼ねた麦の食文化が発達した。

なかでも寒冷で穀物の栽培が困難なヨーロッパでは、体温を維持するために肉や乳に依存した食生活が中心となる。国により異なった食文化は、その地の気候風土に適応してきた数千年の進化の過程で、人々の遺伝子にインプットされている。

八千年前に中国の雲南に発祥した稲は、揚子江の下流域で栽培され、東南アジアのモンスーン地帯に広がり、約2500年前、縄文の終わりころから弥生時代にかけて、大陸から稲作民族が西日本へ移住、農耕生活が始まると稲の収穫によって毎年、安定した食料が得られるようになると、全国各地に大きな集落が出現する。「瑞穂の国」と謳われた米の食文化の開幕である。

わが国に伝播した米は、丸みを帯びた粒のジャポニカ種で、幅と厚さがあり、炊くと粘りと甘味のあるご飯になる。はじめは土器で煮て粥にして食べていたが、古墳時代になると「甑(せいろ)」で蒸したご飯が登場、平安時代に鉄釜が普及して、水分の多いふっくらとしたご飯ができるようになった。

ご飯には、ほのかな香りと噛むと淡い甘味が感じられ、塩気や辛味のある副食が加わることで、はじめて美味しさが味覚される。米などの植物性の食物は、カリウムが多く含まれ、ミネラルバランスを保持するのにナトリウム(塩)の摂取が不可欠である。

ご飯と塩味の美味しさは、「握り飯」で象徴されるように、ご飯と塩気の副食の組み合わせが和食の味覚の源流である。

 

4.藻塩焼製塩

約2500年前、縄文の終わりころから弥生時代にかけて、大陸から稲作民族が西日本へ移住、農耕生活が始まる。集落の人口が増えるにともない、料理・調理用の塩、家畜の飼料など、日常の暮らしに塩が大量に消費されるようになり、生活必需品の塩づくりが本格化してくる。

縄文時代の海水を直に土器で煮つめる製塩から、干した海藻に海水を注いで海藻の表面の塩粒を溶かして濃縮塩水をつくり、土器で煮詰める製塩法が広まった。

稲作民族と一緒に渡来した製塩法が「藻塩焼」である。

万葉集に「淡路島松帆の浦に朝凪に玉藻刈りつつ夕凪に藻塩焼きつつ」と謳われ、この煙が、あたかも海藻を焼いているように見えることから”藻塩焼き”と呼ばれたのが、名前の由来である。万葉集や風土記に「藻塩焼く」「藻塩垂る」という藻塩焼の方法を示唆した絵図や詩歌から推測された言葉である。

塩の研究者の間で、藻塩焼を学術的に解き明かそうとしてきたが、古代の製塩法について具体的に記された史料はまだ見つかっていない。海藻を焼いた灰を海水で濾して濃縮してから土器で煮詰める説、海藻灰を団子にしたものなど、諸説がある。 

塩づくりの神様、塩土老翁が祀られている宮城県の塩竈神社では、毎年7月になると、御釜社で「藻塩焼神事」がとりおこなわれている。

海藻のホンダワの採取に始まり、炉にのせた平らな鉄釜に竹を編んだ簾の子に敷いて、海藻を山積みした上から海水をそそぎ、その滴下した濃い塩水を鉄釜で煮つめて塩をつくる行事である。

『塩釜由来記』によれば「奥津彦の老翁・老女は七つの竈を造り,荒塩の老翁、多礼塩の老女は灰塩を七つの壺に入れ、佐多彦、多美彦、藻彦、多利水彦、小塩彦、八塩彦の七神が七壺の多利水を塩桶で汲みいれ十四神の老翁・老女は熾に火を焚く」と記されており、藻塩焼の製塩法は、藻を刈り、乾燥させて灰塩をつくり、海水に溶かした濃縮塩水を煮つめたことを物語っている。

弥生時代の後期になると、塩の結晶を採取する土釜もサイズや使用法が変り、瀬戸内海沿岸では師楽式土器が製塩に使われ、海岸近くに石で囲んだ炉の跡が発掘されている。大量な海水を焚くのに大型の土鍋を竈(かまど)で焚く方法に発展していった。濃縮塩水を作る方法が海藻から砂に替わると、竹籠を芯に貝灰を混ぜた粘土で作られた「貝釜」が登場、江戸から明治にかけて「石釜」へと発展していった。

 

5.コラム 現代に蘇った藻塩

近年、考古学で藻塩焼を実証しようと、海岸の古代遺跡で藻塩再現の実験が行われきた。干した海藻に海水をかけて濃縮塩水をつくり、煮つめる方法では、褐色のわずかな量の塩しか採れず、昆布の強烈な臭いの塩になってしまうといった具合で藻塩焼の再現が上手くできないでいたが、この謎に包まれた藻塩焼を現代に蘇らせた人がいる。

昭和57年(1982)、広島県蒲刈島の住職の松浦宣秀氏(故人)が沖浦海岸で古代遺跡の発掘調査において、黒い層をなした土器製塩の跡を発見したのをきっかけに、島の住民が藻塩づくりの実験を手伝う「藻塩の会」が発足、10年あまりの実験を繰り返し、ついに乾燥した「玉藻」とよばれるホンダワラを焼いた灰塩を海水で濾して土器で煮詰める藻塩の再現に成功した。

その藻塩づくりの工程は、天日乾燥したホンダワラを繰り返し濃縮塩水に浸し、天日で干した藻を焼いて、その灰を先の濃縮された塩水に溶かすと黒い液になり、それを布袋で漉して灰を取り除いて一昼夜おくと、薄い黄色の液ができあがり、それを平釜で煮つめると薄茶色の藻塩ができることを実証した。

はじめて焚きあがった藻塩の味の感想は、「灰くさい塩であるが苦味がなく、だし昆布で煮だしたようなうま味のある塩ができた。ホンダワラは乾燥が早いので塩づくりに最適である」と語っている。

平成8年(1996)に同島で開催された「古代の塩づくりシンポジュウム」において、藻塩の土器製塩の実験結果を発表、古代の藻塩焼を現代に蘇らせた試みは、藻塩焼きの実態を解明するのに大きな手がかりとなり、考古学会からも認められ大きな注目を集めた。塩の自由化が始まると、現代に蘇った藻塩は「海人の藻塩」の商品名で市場に出た。天ぷらのつけ塩、焼鳥などの振り塩につかわれ、うま味を引き立てる塩として日本料理店で使われている。

何千年にわたって、縄文時代の貝を煮だした濃縮塩水(鹹水)や、海藻のうま味成分が含まれている塩を摂取してきたことが、日本人のうま味に敏感な味覚を育てた最大の要因だと考えられる。

 

6.和食のおもてなしの心

わが国では、食事をする際に「いただきます」の言葉から始まる。食事をつくる人、お米を育てた人たちへの感謝の気持ちを表した言葉である。

昔の子供は親から、米の漢字は、お百姓さんが春に稲を植えて秋に収穫するまでに八十八もの手間をかけて作られたこと表している。だから米を粗末にしてはいけないと言われて育った。稲作は天候次第で豊作の年、凶作の年が決まる。春に田を耕し、秋に収穫を得る。おのずと自然への畏敬の念が強く、「自然に生かされている」という感性を身につけた米食民族に育ってきた。

自然を支配している風の神、水の神、火の神々に五穀豊穣を祈る際に、神社に祀られた守り神に食物を捧げる「神饌」とよばれる儀式が行われる。

秋に稲の収穫を終えると人びとは、無事に米の収穫ができたことを神に感謝するために、神社の守り神を迎える祭りの準備をし、ご馳走をつくって神に最高のもてなしをしようと努めた。神への感謝と願いの神事を終えると、皆で「直会(なおらい)」とよばれる、神に捧げた供物を食する。神との一体感を持ち、神が人びとの加護と恩恵を与えてくれると信じていた。神饌の供物には主食の米と、その土地の人々が恩恵を享受した旬の海の幸、山の幸が捧げて神をもてなしした。

奈良時代には貴族社会で神饌料理の流れをくんだ、客をもてなす接待の料理が成立していた。平安中期になると、唐の文化の影響を受け、貴族が催した「大饗料理」が定められた。これは貴族階級が天皇の親族を招いて開くもてなしの宴会で、身分によって上は20品から下は8品と料理の数が異なる料理形式である。

その後、鎌倉時代に禅宗寺院において中国で学んだ禅僧たちが帰国して広めた精進料理がうまれ、肉食の味覚を豆腐や野菜料理などでつくる高度な料理法が発達した。室町時代になると味噌醤油、鰹だしをつかった今日の和食の原型である「本膳料理」が出来上がる。

戦国時代、大名の間で茶の湯が流行し、茶会の後に「懐石料理」のもてなしの料理様式が誕生する。わび茶の精神を体現しようとした千利休は、宴会料理から酒を排し、ご飯に汁物、漬物、それに野菜の煮つけ、おしたし、魚料理などの三つの菜を基本のかたちにした一汁三菜の質素な懐石料理の様式を完成。ひととひとの一期一会を重視し、いかに人をもてなすかを気配りし、庭や茶室などの空間から茶器や床の掛け軸にいたるまで、最高の演出がなされ、食事を美学にまで高めた。

和食の系譜は、神饌料理を源流とし、本膳料理から懐石料理にいたるまで、一貫してもてなしの精神が流れている。日本の食卓で「いただきます」に始まり「ごちそうさま」で終わる言葉に、感謝とおもてなしのこころが込められている。

まとめ

フランス料理、イタリア料理、中国料理など、料理文化のある国々には、それぞれの料理に相応しい塩が存在している。塩は基本調味料で、その国の食文化と深く関わっている。新たな料理文化に相応しい使い勝手のよい塩が求められる。料理文化の発達に合わせて、車の両輪のように洗練されていく塩の系譜がある。

平安時代の大響料理は、各人の好みの味付けをするのに手塩皿がもちいられ、それまでの黒っぽい藻塩から、白くサラサラした塩がもとめられた。そのため、色のつく鉄釜から白い塩が採れる貝釜が開発された。和食の原型が完成した懐石料理が流行した時代には、松葉炊きの石釜が開発され、洗練した塩がつくられるようになつた。

わが国の塩づくりは、たえず塩職人の知恵と技術によって、その時代の料理に相応しい洗練した塩づくりの歴史がある。(詳しくは塩の系譜へ)

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